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2016年4月29日 (金)

Our generation(52)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 六人の中で役員面接に呼んだのは五人、東京会場では他に七人を残した。福岡まで来たのは十一人で、内定は九人、T工業大は国土交通省を選び、M大学の野球部はM重工業を選んだ。C代の者は熊本の新幹線車両基地に配属されて駅・車掌・運転というコースを歩むことになった。剣道部にも入ってもらって秋には四段にあがった。

 ヒロは彼と一緒にJRグループの大会と国土交通大臣杯に出た。彼は先鋒、ヒロは中堅である。JR大会は東日本と当たり、彼は高卒で入ったと見られる相手を面抜き胴二本で退けた。次鋒は面と小手を取られ、ヒロは面抜き胴を決めようとして小手を取られて一本負け、後ろ二人は引き分けでチームは敗れた。

 国土交通大臣杯の時は最初の相手がS建設で、彼は出鼻面と逆胴で二本勝ち、次鋒は葉販促勝ち、ヒロは面抜き胴を二本取ってチームの勝ちを決めた。次の相手は強豪のN通運で彼は引き面で一本負け、次鋒は面と小手を奪われ、ヒロは面攻撃に出たところを胴に返されて一本負けしてジ・エンドである。

 国土交通大臣杯の一ヵ月後にヒロは剣道部の先輩の紹介で知り合った。N女子大学出身の管理栄養士と結婚した。彼女も高校まで剣道部である。新婚旅行は悩んだ添えにアメリカ東海岸を選んだ。ボストンに飛んで、ニューヨーク、ワシントンと高速列車で移動した。飛行機はA空輸だった。

 人事部での三年間が終わると長崎駅の副駅長の辞令を受けた。駅長を補佐するわけであるが、業務は営業分野である。新幹線の開業を前に駅の大改修工事は最終段階に来ていた。住居は駅から博多寄りに500mほど、路面電車の通りに面した集合住宅である。秋には長男を授かった。

 福岡では剣道部の活動もそこそこしたし、五段にもチャレンジしたが、上がることはできなかった。長崎では育児の手伝いに仕事という両面で剣道のことを考える余裕はなかった。新幹線の開業は三月で、長崎駅は西に150m移動することになっていた。問題は幅の違うレールを走れる「フリーゲージトレイン」開発の遅れである。

 会社では「つばめ」の六両編成四本を長崎に移すか、西日本の八両編成を四本譲渡してもらうかを検討した末、後者を選んだ。八両は長いかもしれないという指摘も出たが、社長は外国人観光客が増えているという強気で決断した。博多・武雄温泉は従来の「かもめ」で走り、武雄温泉から乗り継ぐという形である。

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