« 下に降りて | トップページ | これは »

2016年3月18日 (金)

日比谷百景(17)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 四月一日付けで松山支社長を命ずるという内示を受けたのは三月十一日だった。年明けから部長には、地方の支社長として栄転するから引越しの準備を・・・と言われていた。娘は横浜郊外にあるK学院大学で管理栄養士の資格を取る学科に合格し、大和氏にある妻の両親の家から通わせてもらうことになった。

 四月一日には決定グループで山県課長と引継ぎをした。彼が私の席に移動して彼のところには奥村課長補佐、その後には北九州支社から転任する人が入った。この人は中途入社で、前職は航空自衛官の一尉である。豊前の出身で、北九州には支社課長として入り、四年間の勤務を経て本社体験となった。転職したのは三十四歳のときである。ずっと契約の調査業務にいたので、危ないものをかぎわけるという点では絶大の信頼感があった。

 同期で支社長に昇格したのは私の他は一人だけだった。副支社長から上がれそうなものは何人かいて次は十月一日に期待というところである。秋田支社長になった彼はT北大学を出て仙台に配属され、本社法人営業・静岡支社・T電気出向・大阪支社・輔車調査部・仙台副支社長・本社営業人事部・横浜副支社長と歩んだ。

 四月二日の土曜日に六年過ごした賃貸住宅を引き払った。午前中にY運輸が来て松山と大和氏に送るものを分けて持っていってもらった。松山の借り上げ住宅は支社から東に一キロあるかないかで、漱石が教鞭を執った中学の流れをくむM高校のそばである。妻は娘の入学式が終わるまで実家にあるということだった。私は日曜日も開く市役所窓口で転入手続きをするが、引越し荷物が着くのは月曜日の午後である。午前中に支社に顔を出して挨拶し、荷物を出迎えるが、それまでは支社のそばにあるホテルで二泊というところである。

 羽田から松山に向かう飛行機は午後三時のA空輸である。妻・娘とは午後一時過ぎに羽田空港に着いてターミナルのレストランで食事をした。松山に向かう飛行機はボーイング787である。支社長になるとスーパーシートの利用も認められるが、あいにく満席の状態で、普通席に座った。席は左翼の少し前、横参列の座席が三つ横並びである。窓・通路はすべて埋まり、春の日差しがそそぐ東京湾を見ながら滑走を開始した。

 離陸するとやはり空気はかすんでいた。横浜や厚木はもやの底、最初の勤務地太井町もよく見えず、富士山もぼやけた姿で突っ立っていた。大阪湾を眺め、明石海峡大橋が過ぎると福岡にいく場合に比べて瀬戸内海寄りのコースをとることがわかった。降下も始って瀬戸大橋が心なしか近く見えるように感じた。

 

 

|

« 下に降りて | トップページ | これは »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 下に降りて | トップページ | これは »