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2016年3月31日 (木)

日比谷百系(23)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 松山での三年間を終えると本社の広報部に移った。役職は次長で、キャンペーンの担当である。松山時代には川柳が土地柄盛んだったので、会社の行う川柳募集にすんなり移ることができた。自宅はT急行田園都市船のkz大学前で、表参道乗換えで日比谷という通勤状況である。

 秋田支社長だった者は「さいたま支社長」に転任した。ここは実質部長という見立ての支社である。奈良の者は岡山二甲府の者は契約部の支社対応グループの次長である。帯広の者は宇都宮、佐賀支社長は本社の人事部で次長、津の支社長は広島支社長、鳥取支社長は湘南の支社長、和歌山支社長は本社教育部の次長、函館支社長は静岡、鹿児島支社長は本社の海外事業部の北米担当次長、福井支社長は北九州へと移動した。

 帯広、福井、和歌山には別の支社で副支社長だった同機が昇格という形で入り、新たに山形と長崎の支社長が同期になった。海外事業部はなんとも複雑でリンチンチンから戻った飯田が北米事業部長、北米とは違うものの、鹿児島から移ったものが次長というところである。支社長・副支社長ではこのような組み合わせはないものの、一期上の先輩でこのような関係になっている支社が富山である。

 ベトナムから戻った宮原は営業人事部長となった。誰が取締役になるのかとなると、飯田と宮原か有力というところである。娘は横浜の医療法人に勤務することになり、妻の両親の家からも出て金沢区に下宿することとなった。移動して一年たち、広報部長を拝命した。キャンペーンはもちろん、インターネットによる情報発信や広告宣伝、プレスリリースとすべてに目を配る役目である。

 日比谷駅を降りると会社の正面に出てパルテノン神殿のような柱の前を歩いた。社員の通用口はずっと「帝国劇場」のままである。広報部は昔ながらの低層の六階にあった。社長も六階なのでそういう意味では重要部署である。マッカーサーの執務室とはちょうど反対の帝国劇場が見える位置に部屋はあった。

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