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2016年3月28日 (月)

Our generation(46)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

「戸締め点灯よし、出発進行」

 ヒロは指導運転士の視線を手元に感じながらマスコンを手前に引いた。速度指示は70キロなのでほんの少しである。鹿児島中央駅の四本の線路が二本に集約され、上下の渡り線を過ぎた。目の前のトンネルの入り口が近づいて260キロの表示が出るとマスコンを目いっぱい引いた。

 年明けから車掌業務を離れて鹿児島支社内の会議室で新幹線運転士になるために必要な学科試験の講習を受けた。五月の連休前に免許を取得して熊本の車両基地でシミュレーターと構内での移動、熊本駅との回送という順に訓練を受けた。熊本との移動では運転席に添乗である。

 盆が終わってからいよいよ本線で指導運転士に監督されながら運転となった。車両は各駅停車用の800系だった。山陽に直通するN700系は八両だが、こちらは六両である。熊本と鹿児島の開はすべて止まる「つばめ」と「さくら」が800系の使用車両になっていた。今運転しているのは朝七時半に鹿児島を出るもので、二十分後には大阪まで最速の「みずほ」に追いかけられるが、熊本までは逃げ切れるダイヤである。

 トンネルの中を100、110、120と加速して一旦抜け、次のトンネルに突入した。ヘッドライトに照らされた軌道に注意を払い、ぐんぐん伸びるスピード表示や電圧計にも視線を走らせた。230、240、250ときて、260になる直前、マスコンを0の位置に戻した。自動車ならばニュートラルの状態である。

 スピードが250に下がったので再びマスコンを少し引いた。運転台の速度指示が160になると今度は前に押し込んでブレーキである。川内駅まであと六キロの地点だった。180、170、160ときたら、速度指示は70キロに変わった。ヒロはマスコンをそのままにして速度の落ち具合に注意を払った。

 川内駅のホームが見えてきた。ホームに差し掛かるところで70キロ、真ん中付近で40キロ、指導運転士から「少し緩めろ」という声がかかり、マスコンを手前に戻した。あと50m、30m、10m・・ホームの屋根からつるされた停止表示板から十センチほど手前だった。

 最初に運転したのは区間が短い出水と新水俣だった。そのときは停止位置を七十センチ行き過ぎて「こりゃ、お客さんは新米が運転してるなぁと思う」と評された。そこから運転区間を徐々に延ばして今は鹿児島と熊本を全区間動かすようになったが、ピタリと止められるのは五回に一度、誤差はまで二十センチの範囲で出た。

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