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2016年2月23日 (火)

日比谷百景(16)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 職場を出たのは午後六時半、自宅に着いたのは午後七時過ぎである。夕食はハヤシライスだった。娘は学校でクラス対抗スポーツ大会があってすでに帰宅し、自分の部屋にいた。四月からは高三になるので進路をどうするかが問題である。理系コースにいるのだが、どこを受けるつもりなのかまだ不明である。

「四月から、ひとつ上に上がれることになったよ」

 妻にそう言うと「そしたら支社に出るときは一番上になるのね」という返事が来た。厚木支社時代に課長以上だった人は定年退職し、副長は前の年に姫路支社長からさいたま支社長に栄転するという挨拶状が来た。

「ローテーション通りだとそうなるね」

「どこの大学に行くかいろいろと考えているところですけど」

「何を選考するつもりなのかい」

「管理栄養士の資格が取れるところ・・・とか」 

 じゃあ病院に就職して年下の医者を捕まえるという方策もありだな・・・と思ったが。口に出すのは控えた。

「いったいどこになるんでしょうねぇ」

「それはわからないけど、九州で来年支社長が変わりそうなのはくるめ・佐賀・宮崎くらいだったと思うよ」

 佐賀も久留米も支部の範囲は広かった。佐賀の場合は鳥栖・神埼・佐賀市内に三箇所、多久・武雄・有田・伊万里・鹿島・唐津、久留米のほうは朝倉・久留米市内に三箇所・柳川にも三箇所・大牟田二箇所という具合である。

 福岡支社や北九州支社となると営業部もあった。これはそれぞれ西とついていた支社の名残である。福岡支社は宗像・糟屋郡・福岡市の東部・大野城・大宰府・筑紫野を管轄し、さらに九州地区の学生採用をたばねる機能があった。福岡西営業部は福岡市の西部と南部、北九州支社は小倉・門司・戸畑に京筑エリア、北九州西営業部は八幡・若松・筑豊を担当した。営業部長も本社では次長という待遇なのでもしかすると営業部ということも考えられた。

 もう少し範囲を広げると中止国となるが参院は鳥取・松江、山陽は岡山・倉敷営業部・福山営業部・広島・山口営業部・下関、四国は高松・松山・徳島・高知、そして兵庫県となると神戸・明石営業部・姫路営業部という具合だった。京都は京都のほかに舞鶴営業部、大阪は大阪北・大阪南・堺でこの中では福岡と大阪北の支社長が部長に相当するというランクづけである。

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