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2015年12月19日 (土)

Our generation(38)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 鹿児島中央駅から枕崎前まではバスなら一時間半で1200円、列車は二時間半で1800円である。これはバスのほうがはるかに有利であるものの、利用者は平日のせいか少なかった。いったん家に戻ったヒロがバスに乗り込んだのは午前十時である。前から三列目に座ってすぐに眠り込んだ。

 枕崎バスセンターは駅のすぐ近くである。特に見るものもないので、駅に隣接したスーパーで弁当と飲み物を買い、駅の待合室で食べた。この駅は無人化しており、到着した列車が折り返すだけである。いずれはバス化したいと会社は思っているのかもしれないが、鉄道のない街になりたくないという沿線の抵抗がすごいというのが新人研修での話しだった。

 折り返しで鹿児島中央に戻る列車が午後一時前に到着した。二両編成のディーゼルカーで、車体は菜の花をイメージして黄色に塗られていた。ヒロは進行方向右側に腰を下ろした。背もたれを動かして向きを変える二人掛けのシートなので、自分の座るところと前後を前向きに変えた。二十分ほどの停車時間の間に乗ってきたのはわずか三人である。ヒロ以外は年を取った人だった。

 列車は道路と併走した。車のほうがどんどん列車を追い越していくという状態である。道路の向こうには海が広がっていた。やがて右前方に円錐形のきれいな山、開聞岳が見えてきた。特攻隊の人たちが最後に見た山、「はかないこの命を朝日のように燃やしながら羽ばたいていこう」という「永遠の翼」の主題歌が脳裏によみがえった。開聞岳が後方に去るとJRグループでは最南端となる西大山である。

 西大山はホームが一本あるだけのこじんまりした駅だった。沖縄モノレールの開業で最南端ではなくなったのになぜか必死でPRしようとしているのがどことなく空しい場所である。この駅を見るのが目的だったような人が乗り込んできたが、社内は相変わらずガラガラの状態が続いた。

 指宿で年配の観光客が十数人乗り込んで、少しだけ賑やかになった。海岸は線路のすぐ近くまで迫ったが、線路と波打ち際の間には道路が併走した。走る車と抜きつ抜かれつの競走は結局列車の敗北に終わった。喜入の石油タンク群を過ぎると噴煙を上げる桜島の姿が大きくなってきた。

 社内は少しずつ人が増えた。ヒロの隣にも人が座って社員である自分が座っていたらいけないかなと思った。「鉄チャン」のふりをしてさりげなく席を空け、運転席の後ろに移動した。

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