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2015年9月 2日 (水)

日比谷百景

「軍艦のある丘」のその後として進めることにしました m(_ _)m

 朝八時半、有楽町駅の北口を出た私は、皇居のほうに向かって歩き始めた。平成元年にF生命に入社して二十五年目、初めての日比谷本社勤務である。最初の三年間は神奈川県西部にある大井町にある第二本社ビルだった。配属された契約部では全国から集められた契約手続書類の処理と支社とのやり取りだった。

 次の三年間は厚木支社である。契約部と立場が反対になって、時々期限に間に合いそうにない書類を直接持っていったこともあった。ここにいた最後の年に三つ年上の女子社員に捕まった。というと人聞きが悪いので、ご縁ができた。副長にも昇進し、再び第二本社での三年間となった。

 最初の勤務では独身寮に入ったが、今度は社宅である。独身寮と第二本社は酒匂川が流れる平野を見下ろす高台にあって、天気がよいと富士山が見られた。二年目に中古で購入したワインカラーのブルーバードは厚木でも乗ったが、丘の下の社宅に住むこと決まってから新車で白のカローラフィールダーにした。

 次の配属は営業人事部である。内勤職員とは別に営業職員は給与体系や昇進の仕組みが違っていた。仕事は定時勤務で、新入社員の業務日誌の点検といった役割が加わった。平成九年には娘が生まれた。子供はこの一人だけだった。そして次の三年間は故郷福岡に近い北九州西支社となった。

 車は北九州へ持っていった。ここでの仕事は法人営業である。支社は黒崎というところにあって、S製鉄やY電機に関連した会社を担当した。筑豊もエリアに入っていて、M&Aがらみでは男子校と女子校の二つの学校法人合併の仲立ちをした。それは少子化の影響を実感させられるものだった。

 平成十三年からの三年間は、JR東日本への派遣である。鉄道事業本部で役職は係長だった。人身事故対策としてのホームドア検討や新型車両導入など「隠れ鉄道オタク」の血が騒いで、このままF生命に戻らなくてもいいかな・・・とさえ思った。車は処分して高円寺というところに住んだ。

 次の三年は大阪北支社になった。出向時は人事部付だったが、ここでも所属は人事部で肩書きは課長補佐だった。大阪北には本社の出先機能があり、内勤職員の新規採用で関西より西の大学生と接触する役をした。職場は梅田で、住居は地下鉄一本で行ける東三国のそばにした。

 その次が教育部で、横浜郊外の東戸塚にある研修センターである。最初は大阪で採用した学生と新人研修で顔を合わせていた。研修は一年目の最後のフォローアップや副長昇進、課長昇進と続いた。肩書きは課長補佐のままだが、同期で出世街道一番乗りの者が課長昇進で来た時は複雑な思いで迎えた。

 

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