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2015年9月 8日 (火)

日比谷百景(7)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 2014年の正月は福岡の両親の家で迎えた。入社した頃は夏と冬の二回、小田原から新幹線で博多まで往復し、車を手に入れると高速道路を使った。鹿児島出身の同期もその頃は車だった。厚木時代は羽田に出て飛行機、もっぱらA空輸である。鯨のデザインをした747に二回も乗れた。

 再び大井に戻るとまた車を使ったが妻の妊娠と出産のときは両親を呼んだ。そして北九州西のときは月に一度は福岡に足を向けた。東京に戻ってからは福岡は正月のみ、移動は飛行機である。大阪時代は新幹線でゴールデンウィークと正月、東戸塚、江東では再び正月のみの飛行機である。

 福岡に戻ったのは大晦日午前のA空輸である。左窓側、翼の少し前に娘・妻・私と並んだ。747はなくなって777のみ、雪をかぶった富士山から大阪、瀬戸内海、関門海峡までの景色が堪能できた。両親は空港から地下鉄で藤崎まで行ってバスに乗り換えて二キロ南下した原というところに住んでいた。

 元日には兄の一家と揃って食事をした。三つ上の兄は市役所勤務で子供はS学院大一年の兄とJ高校二年の妹だった。両親は八十歳になり、自宅に住み続けるか家を処分して施設に入るかというような話も出た。兄一家は百道浜の高層住宅に住み、私たちがこの先どこに住むかという問題があった。

 一月三日の朝十時に原のバス停から2番のバスに乗ることにした。帰りの飛行機は午後五時だが、大宰府に行くために早く出た。201番だと私が卒業したS高校の前を通らないので2番を選んだ。高校時代は自転車での通学である。乗り込むときは三人ともICカードを使った。

 バスの座席は埋まっていた。入り口近くにS高校の生徒が黒い竹刀袋を持って座っていた。どうやら正月の現役・卒業生合同の稽古のようである。藤崎では地下鉄に乗り換えるためにほとんどの乗客が降りた。私たちは後ろのほうに座り、S高校前を出発してから娘に声をかけた。

「今下りていった子どうだい」

「うぅぅん、たくさん下りていったときにお母さんに連れられた女の子を名残惜しそうに見ていたから、こっちには興味ないんじゃないの」

 バスは福岡城の堀の前を通って天神に着いた。そこから西鉄大牟田線の駅まで歩くと赤と白のツートンカラーに二人がけの座席が並んだ特急に乗り込んだ。妻と娘が並んで座り、私は別のシートに腰を下ろした。

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