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2015年9月10日 (木)

日比谷百景(9)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 羽田空港第二ターミナルにあるレストランで夕食をするとモノレールとJRを乗り継いで自宅に戻った。午後九時前になっていて郵便受けには元旦の分厚い新聞と年賀状が入っていた。私宛は90通だった。中学・高校のクラブ、大学のゼミであわせて15通、10通が親戚がらみ、55通が会社の関係で残りが広告宣伝だった。

 ここ数年で、「喪中はがき」を受け取ることも増えた。それで出すのを控えたのが20通である。東戸塚時代までは娘の写真を入れて出したが、中学生になってからは取りやめた。中学から大学にかけては三人、会社の同期では三十人のうち八人が未婚である。決定グループでは、大田と磯崎副庁、から来た。

 大田の賀状には「成田エクスプレス」の写真が貼られ、形どおりの挨拶文という作りである。磯崎副長はデザインはがきの東京版に「六月に挙式します」と書き添えてあった。職場は基本的に「虚礼廃止」としていたので、二人には自分から書いていないので早速返信の宛名を書くことにした。

 中学・高校の同期は福岡にいる者が県庁、市役所、地元銀行、家業の不動産屋、中学教師が地元、大阪の会社に勤める者が一人というところである。大学のほうも公務員になって動かないという者ばかりだった。福岡の他、長崎、熊本、大分、山口、兵庫といったところである。

 会社関係ではやめてしまった者とも年賀状での交流が続いていた。太井のシステム部三人はITバブルの時代に独立し、入社時の研修で同じチームだった者は資産運用部門から外資に移った。厚木支社時代の上司は結婚式の仲人をしてもらった関係で定年後も年賀状をやり取りした。

 土日が過ぎると新年初めての出勤である。フロアに上がると透き通った大気の中に富士の姿が見えた。大宰府土産を山田副長に託した。古賀課長補佐は長崎から抹茶カステラ、大田は大阪のH百貨店のクッキーを持ってきた。そして契約部長による新年の訓示となった。

 前年の九月にT大法学部出身の契約部長はベトナム現地法人社長になった。後任は旧七帝、いわゆるセブンシスターズの一つ仙台のT大経済学部を出た柴田である。契約部をスタートして仙台支社、本社人事部、横浜支社、本社広報部、名古屋支社、生命保険協会出向、神戸支社、本社保険金部、京都支社長を経た。

 訓示のあと、課長以上が部長に呼ばれて契約部の人事異動に関する方向を示された。決定グループでは西崎次長は支社長として栄転、古賀課長補佐は支社課長として転勤し、出先で一年ほど様子見して副支社長、大田は支社に出し、川村の次に新入社員を迎えるということである。

 

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