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2015年9月12日 (土)

日比谷百景(11)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 四月に行われた人事異動で、西崎次長は水戸支社長に栄転した。古賀課長補佐は一年後に副支社長という含みで北九州支店に、大田は神戸支社である。川村の後輩として五月に配属されたのは埼玉出身でC大学経済学部卒の小沢だった。彼は小学校から剣道一筋で四段を持っていた。

 古賀課長補佐の後には十三年目の奥村課長補佐が入った。彼も最初は契約部の決定グループで、秋田支社、人事交流でJ損保の損害査定グループ、三重支社を経ていた。出身は熊本県で大学はМ大学の法学部である。彼も高校まで剣道経験があって二段、子供が小学生になって始めたのを機会に再開したそうである。

 西崎次長の後のグループリーダーは私で、もう一人の課長は四期後輩になる山県だった。彼も入社時は契約部で事務企画、湘南支社、生命保険協会出向、高知支社、本社保険金部、子会社のビジネスサービス出向、福岡支社という経歴である。山口県の出身でY大経済学部までずっと地元だった。

 女子の顔ぶれは前年と同じである。早速新人への探りが開始された。「休日は何をしているか」という問いには「今も剣道の稽古を続けている」という返事である。会社には剣道部があって彼もメンバーだった。九月には関東・十月に全国の実業団が予定されていて先方として出るそうである。

 かつて日比谷の本社ビルの地下四階には道場があった。それは改修工事の際に地下駐車場に変わってしまった。剣道部としては各自で住む地域の稽古会に加わり、必要なときにチームを組むという体制である。剣道部長は東戸塚時代の上司だった人事部長で「多少の配慮を」と言われた。

 小沢の通勤時間は景品東北で約四十分である。道場では火曜・木曜・土曜の夜に恵子をしていた。午後八時くらいに大人の稽古が始まるとなると午後六時半にはフロアを出るという勘定である。とはいえ、七月はやはり午後七時までいてもらった。剣業一如という言葉があるから仕方ないと彼は納得した。

 盆休み明けにビアガーデンにグループで行ったとき、小沢への尋問が開始された。そして好みの女の子が中学生未満という恐ろしい自白が引き出された。道場には小中学生の女の子が十五人くらいいて、その中の誰かということである。酔った上での一言とフォローするしかなかった。

 

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