« 東日本大震災(2780) | トップページ | まだ »

2015年9月 4日 (金)

日比谷百景(3)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 決定グループは西崎次長と私が窓を背に座った。私の席は入り口から向かって左側である。まず引き出しに入れたノートパソコンを取り出した。帰宅時に机の上は何もない状態にせよというのは社是となっていた。ノートパソコンは電子メールやインターネット用で、決定用の端末はオンラインと遮断されたデスクトップである。

 ノートパソコンの電源を入れると窓べりに立って外を見た。眼下にあるのが低層部の屋上で、社員食堂部分はガラス張りになっていた。太平洋戦争時はここに高射砲がすえつけられ、厚さ1mのコンクリートで補強が行われた。爆弾三発が当たってもこの建物は壊れずに済んだそうである。

 向かって左側の6階にマッカーサー元帥の執務室があった。皇居は正面なので巷で言われる「皇居を見下ろしながら」というのは事実ではなかった。新緑に包まれた皇居の向こうには新宿の高層ビル街が見えた。大気の状態がよければ富士山も見えるが、それは秋から冬でないと難しかった。

 ノートパソコンが立ち上がるとメールのチェックである。社内の通達は全てメールで行われるようになった。情報システム部からは前日の決定グループ全員の処理件数のレポートが私と次長のみに届いていた。西崎次長の前には女子六人、私の前には男子四人のメンバーが向かい合わせに座った。

 次長は私が入社したとき、保険金部の副長だった。大井の第二本社と支社を行き来して、二年前から日比谷の決定グループにいた。次の行き先はどこかの支社長かグループ会社の役員だろうと言われていた。出身は埼玉県でW大学の法学部である。私もQ大学の法学部だったので肌は合った。

 私の前に座る四人のうち、最年少は今年入社の川村である。横浜出身でW大の商学部だった。野球部にいて控えの投手として四年間を終えた。独身寮の制度がなくなって、自宅からの通勤である。四月いっぱいは東戸塚の研修センターで、五月一日から日比谷に来るようになった。

 入社三年目の大田は大阪生まれで国立О大学法学部までずっと大阪、鉄道オタクである。ブログをやっていて東京に来てから写した電車の写真があふれていた。国土交通省を目指したが夢かなわず、F生命に入ったそうである。体育会の川村と違い、彼はずっと写真部という文化系だった。

 この二人の直属上司となるのは入社八年目の磯崎副長だった。世田谷生まれでK大学の経済学部卒、最初は契約部の事務企画グループ、札幌支社に飛んで、決定グループへきた。札幌でも契約の部署にいたので私と似たようなパターンになるのかなと思った。川村の業務日誌点検は彼の役目である。

 

|

« 東日本大震災(2780) | トップページ | まだ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 日比谷百景(3):

« 東日本大震災(2780) | トップページ | まだ »