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2015年9月 3日 (木)

日比谷百景(2)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 東戸塚は谷底をJRが走り、駅の西側の斜面の上に職場、東側には高層住宅の並ぶ斜面となっていた。ここでの三年間は斜面にある高層住宅に住んだ。窓からは横浜ベイブリッジも見ることができた。大阪と同様に車なしでの生活にしたが、ときにはレンタカーを借りることもあった。

 同期240人のうち、入社二十年目までに四十人がいなくなった。唯一の女子は結婚退職、大学院に行くために辞めたのが二人、うち一人は地方の大学で経済学を教える准教授になった。あとは家業を継ぐためなどの転職である。200人のうち、課長に上がったのは15人、副長のままなのが60人いた。

 支社では課長が本社の課長補佐、副支社長は本社の課長、支社長は本社の次長という位置づけである。札幌・仙台・横浜・名古屋・大阪北・福岡の支社長は本社の部長に相当した。支店長代理とつくとそれは部長代理と同じく、部長に上がる望みはなかった。課長代理はなく、副長のまま留め置かれた。

 平成二十二年に江東支社の副支社長を命ずという辞令を受けたときは、四十五歳までに課長になれたんだと安堵した。娘をどこの中学に通わせるかという問題は、住まいにした亀戸の賃貸マンションから歩いていけるr中高一貫のRに入ることとなった。ここは芥川龍之介の母校である。

 江東支社はJR錦糸町駅の南口から歩いて五分のところにあり、亀戸の自宅からも徒歩十分で行けた。娘の通うR中学は職場から徒歩五分の距離である。江東支社は隅田川から東の墨田・江東・足立・葛飾・江戸川の各区にある支部の統括だった。江東区の湾岸エリアはタワーマンションに住む若い世代が多かった。

 大井の第二本社は閉鎖され、契約部は日比谷の本社に移された。私の担当業務は再び新規契約の処理であり、契約部に電話する機会が増えた。担当の支社課長は営業から転進した叩き上げで、ちょっと攻撃的なところが強く、本社とのやり取りは経験者の私がという支社長の厳命があった。

 江東での三年間が過ぎて、日比谷の契約部勤務の内示を受けたときは、里帰りという心境になった。契約部は支社対応グループ、決定グループ、医務グループ、事務企画グループから構成され、私が入るのは決定グループである。フロアはパルテノン神殿のような低層部ではなく、タワーと呼ばれる高層部の16階だった。

 エレベータを降りて契約部のフロアに入った。フロアは皇居側である。各グループのリーダーは窓に背を向けて座ったが、「皇居に尻を向けるのは不敬だと思うので、このようなレイアウトを提案します」と新入社員のときに業務日誌に書いた者が支社対応グループにいることも聞いた。

 

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