下り坂(163)
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哲也が乗った羽田発北九州行きのS航空の737は、定刻の9時5分から20分遅れでの出発となった。五月最後の週末を哲也は小倉の実家で過ごすことにした。K高校の文化祭を見て建て替えられる校舎に別れを告げ、実家に置いてあるもので不要と思う物を処分する予定である。
連休が明けて哲也は四十九歳になった。夏目漱石は死んでいる年である。「こころ」がA新聞に際連載されたのを聞いてもう一度読んでみた。高校生の時は「私」からの視点だったのが、「先生」の目線で読んでいる自分を発見した。四月の人事異動でもそのままで、東京の家も変わらなかった。
富士山が窓の下を過ぎると哲也は搭乗口の売店で買った。サンドイッチを袋から出した。飲み物のサービスではコーヒーを頼んだ。ゆったりした革張りシートで眼下の景色を眺めながら少し早めのランチである。大阪湾、明石海峡、瀬戸大橋までは見えたが、雲が広がって来た。北九州の天気は曇り後雨だった。
高度が下がって雲の中に入った。主翼先端から延びるウィングレットが切り裂く白い水しぶき、定員の七割程度の畿内ではむずがる赤ん坊の声だけが響いた。雲の下に出ると海面は灰色である。機体が大きく左旋回してここは周防灘だなと哲也は思った。737は南向きにまっすぐ着陸するコースを取った。
滑走路を出てターミナルビルに向かっているとN航空の747貨物専用機がこちらに尾翼を向けて駐機しているのが見えた。機首がパックリ開いて北九州から成田に運ぶ貨物を積み込んでいるところである。九州で見られる唯一の747という触れ込みだが、いつまで見られるだろうかと哲也は思っていた。
ドアが開くと哲也は到着口に急いだ。機内持ち込みできるショルダーバッグには下着と歯磨きや髭剃りのセットと携帯電話の充電器、それと土産のクッキーだけである。ジャケットにスラックス、茶色の革靴という格好では本当に帰省なのかと思われそうだった。小倉駅に直行するバスは到着から十五分で発車だった。
バスは行橋方面に延びる東九州道のインターに向かい、九州道の小倉東インターに向かった。高速に入らなくても時間は大きく変わらない気もしたが、小倉東インターからは都市高速道路で小倉駅に直行である。小倉南インター経由でモノレールの沿線を行くルートは停留所が多かった。
小倉駅に着いたのは正午である。本来ならK高校に着いているはずだが、これだけは仕方なかった。品川から羽田空港に行くか新幹線に乗るかという勝負ではまだ飛行機に軍配があがった。戸畑方面に向かうバスに乗り、停留所の位置が変わっているのに驚いたが、下から見上げる校舎の姿は変わらなかった。
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コメント
小説再開されましたね!
投稿: エリー | 2015年5月31日 (日) 16時36分
といっても(165)までですm(_ _)m
その先は・・・半年くらいして
投稿: イワノブッチ | 2015年5月31日 (日) 17時01分