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2014年6月 5日 (木)

明日君は陽だまりの中で

「下り坂」のうちN高へ行った者を・・・ 今は亡きN高への鎮魂のつもりです 陽だまり じゃなく 血だまり だったら ホラーだよね (^^;;

 新飯塚駅から汽笛が響いた。一キロ離れたN高の寮の窓には春の雨の水滴がついた。今日はラジオ体操なしだなとベッドを出た英樹は思った。入学式があって三日過ぎ、寮の四人部屋の生活も少し慣れた。小倉にあるN中でも同じく寮で過ごしていたので同室者との間の取り方はわかっているつもりである。

 N中の同期76人のうち、N高に来たのは35人だった。他の有名私立高校や県立高校に逃走した者が多く、別の中学から高校に来た者が46人である。英樹は他校を受けないということで特待生として入学した。

 高校の校舎は三階建てで、別の学校法人が経営をやめたのを引き取った。校舎とグランドは県道から一段高いところにあり、その下に四階建ての寮が作られた。一学年150人という定員だが、実際は90人そこそこという状態である。一・二年は四人部屋、三年は個室という具合だが、二年生の一部は個室となった。

 一年前にこちらにも中学ができたが、地元出身者向けで寮に入る者はいなかった。同室は二年二人、一年一人で二年の二人は他の中学出身で二人とも軟式野球部、もう一人の一年はK高校への逃亡に失敗した者である。倍率1.2倍のK高校は難易度が学区で一番で、24人受けて8人が落ちた。彼はロシアンルーレットで二十回やっても当たらなかったが、運を使い果たしたようである。

 朝六時の起床、洗面などを済ませて六時半からグランドでラジオ体操、七時から寮の食堂で朝食である。ご飯に味噌汁、ハムエッグという具合だった。昼食は弁当を寮の玄関でもらい、夕食は午後七時から、入浴は午後六時以降というようになっていた。

 英樹は中学で県道部に入っていたが、高校でも続けることにした。中学では週一回、武道の授業として剣道を行っていたが、それは高校でも同様である。中学のときの部の仲間は六人いたが、同じ高校に来たのは大塚だけである。彼はなぜかサッカー部に入った。

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