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2014年6月15日 (日)

明日君は陽だまりの中で(13)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 前期試験の終了を告げるチャイムが鳴った。中学・高校ともに同じ時間に設定されたので、静まり返った校舎が一気に騒がしくなった。別々の時間帯のときは答案提出も音をたてないように指示されたが、開放感で何の気兼ねもなく机や椅子をずらしていた。

 校内用の服から制服に着替え、寮に戻った。八月に帰省したときもこの制服である。まるで刑務官だなと列車に乗り合わせた人から言われた。筑豊本線には新大阪と佐世保を結ぶ寝台特急「あかつき」が走っていて門司・鳥栖の間で分かれる長崎行きと併走したが、寝台券不要の区間でないため、博多駅発着の特急「かもめ」にした。

 筑豊本線は原田に出れば近道だが、普通列車の本数は一日六本しかなかった。特急よりも安い急行「出島」もあったが、十一月には廃止の予定である。長崎の街は水害の影響はあちこちに残っていて実家の近くにある眼鏡橋の残骸に改めてショックを受けた。

 長崎から戻ると八月いっぱい午前の授業、午後クラブという生活が続き九月半ばの前期末試験の前にクラブは一週間休みとなった。試験が終わったので午後からは久しぶりのクラブである。寮の食堂ではカレーライスの昼食だが、一杯だけに控えた。

 九月になってから大便をするリズムが昼休みに変化した。なぜそうなったのかはわからないが、朝のラッシュをさけるためにトイレにいる神様が魔法をかけたのではないかと思ったりした。昼休みも「個室」の利用は盛んで、規則正しく何かをこする音が聞こえた。占有している時間は人にもよるがかなり長く入り続けているということも多かった。

 英樹は三日に一度は少し長めにこもった。教室は冷房が入っていたが、トイレはそれがなく、下はもちろん上も全て金具にかけて全身汗まみれというようなことになったりした。

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