下り坂(157)
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春の訪れは遅いと感じていたが、四月には急に夏が来たという日もあり、五月最後の土曜日は真夏という状態だった。哲也は夕方になって防具袋に五百ミリペットボトルのお茶を入れて稽古に出た。稽古中の水分補給にはスポーツドリンクよりもお茶のほうが後味がよかった。消費税がアップする前に洗剤・トイレットペーパー・ティッシュなどの雑貨をまとめ買いした。通勤定期も三月中に六ヶ月分を購入しておいた。
三月末に747は引退し、アメリカに運ばれるのを出迎える「さよならツアー」まで行われた。羽田空港発着の国際線が増えてロンドン路線は成田から羽田に移った。問題を起こした787は羽田とハノイ・シンガポール・マニラ・台北という具合に運航路線が増えた。
業界内ではS航空がA330の導入に伴って客室乗務員にミニスカートを履かせることの是非が話題となった。さらに格安エアラインが乗務員不足で欠航が相次ぐという問題も起きた。J航空が機内でのインターネット接続サービスを拡充することになったが、これは遅れをとっていた。
哲也の肩書きは主任研究員のままで、あと二年で五十歳になると主席研究員なのかなというところである。もっとも早期退職という選択肢が示されることも頭の隅には置いておく状況だった。新興エアラインに行くには実務から離れていたし、大学教員という道も茨である。
コミュニティセンターでの稽古は主任の先生が七段でそれに六・七段の人が五人、哲也は「四段のままストップ」だが、指導員の一人ということになっていた。新年度になって入門した子は五人、減少傾向は変わらなかった。中三までの会員は五十人で、一般が十五人程度である。
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