何となく 何とでも〔38〕
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OBの対抗試合と合同稽古の間は研究室で過ごさせてもらった。教授に昇進するためには論文を書かねばならなかった。金融論はもちろんだが、イギリス経済に関することも書いておこうということで、サッチャー以前の停滞の時代がどんなものであったかを調べていた。
午後五時から大学の近くにある居酒屋で交流戦の慰労会が行われた。Q大学側の顧問は理学部の教授と聞いたが、来ていなかった。師範はS高の顧問を長年やっていて、こちらの大学とも深い関係である。昔は相当厳しい稽古をしていたらしく「気がついたら一人で突撃していた」とか「ずっとカーテンの陰に隠れていた者が引きずり出された」とか、恐怖のエピソードが披露されていた。
大将戦で戦ったのは北九州にあるN中学の先輩・後輩という関係だった。こちらの主将が二年生のときに全国大会に出場したが、それはちょうど男女共学に切り替わった年のことである。
「ふうん、すると共学になってテンション上がったということですねぇ」
「戦力的に充実していたんです。それも三年を押しのけて二年が主力になって」
「だけど、次の年は団体では駄目だったなぁ。個人では出たけど」
「それはИ先輩で、それで一緒にMに行ったのが」
「彼はインターハイも個人で出たなぁ」
「就職決まったらN中に稽古行きますか」
「報告にね。じゃ今いる女の子めぐって決闘」
「それは内定取り消しの事由になるかも」
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