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2014年3月10日 (月)

何となく 何とでも〔31〕

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 春の日差しが福岡空港に降り注いでいる。三月半ばに私は金曜午後と月曜午前を半日遊休にして浦和の実家に戻ることにした。土曜日は金融学会の関東部会が予定されていた。出発時刻の十五分前になって搭乗開始のアナウンスが流れた。私はいつもどおりに「72A」を指定した。

 真昼の時間帯は777になっていることが増えてきた。J航空は大半の時間帯が777となっていて、そう遠くないうちに退役してしまうと聞いた。機材を小さくして便数を増やし、搭乗率を上げるということだなと私は思った。二階席は窓側と通路が全て埋まったが搭乗率六割は採算が取れるギリギリなのだろうと思った。

 南側に向かって滑走し、久留米上空まで真っ直ぐに上昇すると左旋回して東に針路を変えた。国東半島、四国の上空、関西国際空港や大阪平野、渥美半島に浜名湖、そしてヨーグルトムースのような富士が目に入ると降下開始である。大島が窓の下を通り過ぎ、機体はグッと左に傾いた。ゴルフ場が点在する房総半島、君津の製鉄所が見えて東京湾の上に出た。

 到着口を出るとモノレールの駅に降りた。先に出るほうは席が埋まっていたので、次に出るほうの運転席の後ろに腰を下ろした。新整備場を出て地上に上がると夕日が眩しかった。整地されたところに新しい国際線ビルが作られると昔のように羽田からも長距離国際線が出るそうである。そうなると成田ではなくこちらかなと思った。出来れば福岡からもアメリカやヨーロッパに直行してほしいと地元は願っていた。

 浜松町で京浜東北に乗り換えた。すでに学校やオフィスから家路に着く人で車内はいっぱいだった。東京駅で入れ替わりがあってそのチャンスに席に腰を下ろした。秋葉原・上野でも人の出入りは多かった。赤羽でも乗り降りがあって荒川の長い鉄橋を渡ると川口である。少しだけ客が減ったものの、まだまだ立っている人が多かった。

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