何となく 何とでも〔16〕
さらに続けることにしました
前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m
平成十八年度が始まって私は引き続き金融論とイギリス経済論を担当することになった。校務では学生委員会のクラブ・サークル担当に広報委員会が加わった。クラブの顧問は体育にバスケット専門の先生が入ったため、剣道部に交代した。四月は一度だけ東京に戻り、ゴールデンウィークは福岡で過ごして次の週末に金曜午後と月曜午前の半休をもらった。
朝九時に羽田を飛び立った便は747だった。座席はいつもと同じ72Aである。二階席は空いていて私の前も後ろもいなかった。東京は曇っていたが、西に向かって飛ぶと雲がなくなり、大阪湾・明石海峡・瀬戸大橋を眺めることができた。広島を過ぎると高度が徐々に下がり始め、関門海峡や北九州市の工場地帯の幾何学的な海岸線が目に入った。
地下鉄で西新まで来ると昼食にちょうどよい時間となった。牛丼のM屋か定食のY軒のどちらにするか思案して後者を選んだ。定食はご飯おかわり自由であるが、学生とは違ってさすがに二杯目以降は遠慮した。かつの卵とじ定食にして食べ終わったのは正午過ぎだった。
正門をくぐって研究棟に行き、メールボックスを確認するとクラブ関係の書類が入っていた。それらに印鑑を押して学生部長のボックスに入れた。
「やはり東京に戻っておられたんですね」
学生委員会担当の事務職員が入ってきた。今回はゼミと剣道部それぞれに東京土産の菓子を買っていた。ゼミは三・四年合わせて三十四人、クラブのほうは二十八人である。ゼミもクラブも四年生は就職活動で不在となっていて何個入りにするかが大変だった。
「月に一度のペースは今年も続きますよ」
「あちらではお見合いとか・・・」
「それはチョット」
「よろしければ、こちらでも紹介しますよ」
それは色々な人から言われていた。東京の人はいずれ東京に戻りたいとなるし、九州は逆に出たくないというところで私は板ばさみになっていた。
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