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2014年1月13日 (月)

死して朽ちず〔7〕

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 年末年始の彼のスケジュールは両親を福岡から湯田温泉に呼び寄せて年を越し、二日には次男のY高校剣道部の初稽古に参加するというものだった。Y高は私の母校でもあり、彼の稽古姿を記事にさせてもらおうと思って久々に母校の校門をくぐった。参加者が多いため、武道場では狭すぎ、体育館でやることになった。

 私の同期は一人だけで、宇部にある高校の教員だった。六段まで行ったが、もうひとつ上がナカナカと苦笑いした。OB会長は七十歳を過ぎた元Y市市議会議員で七段である。大学生は地元のY大が二人、広島の大学一人、九州にある大学から三人だった。若手の社会人にはC電力やJRのゼッケンを着けた者もいた。

 現役の部員は男子八人、女子六人と少ない感じである。もっともそれは三年生が引退したためのようだった。女子は全員が上下白の剣道着にしていた。あとはOBの子弟が五人いて最年少は小学校に入ったばかりというところだった。

 キャプテンの号令と礼のあと、早速稽古始がスタートした。午後になっても体育館の中は底冷えがきつく、じっとしていると靴下から凍ってしまいそうな感じである。彼の前には次男が行って親子稽古がどうなるかと思いながらデジタルカメラを構えた。

 私も高校では武道の選択を剣道にしていた。最初に準備運動として彼は切り返しをやった。左右の面がきれいな角度で入るのを見てその腕は衰えてはいないなと感じた。

「じゃ、地稽古を」

 彼はそう言うとどっしりと構え、足を小刻みに前後左右させた。次男が少し遠い位置から面に飛んだ。彼は左足から一歩引いて竹刀をすりあげると伸び切った胴に返した。小気味よい音が館内にこだました。

「老獪な剣道ですねぇ」

 見に来ていた一人が声をかけてきた。その人は稽古はやらず見るだけのようである。彼は最後に一本勝負と告げた。次男は面を受け止められてから引き胴で間をあけ、追いかけて面に行こうとした彼から小手を取った。

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