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2014年1月 2日 (木)

下り坂〔154〕

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 2014年の元旦はそんなに寒くなかった。哲也は昼前にバスでK高校に向かった。帰省は29日の夕方に羽田を出発する便だった。これは三月に退役する747である。哲也は二階席の左窓側に座った。三日夜には東京に戻るが、こちらも福岡から折り返しとなる747である。

 中田が手がけていたATR72の日本導入は、福岡・北九州と松山を結ぶローカルエアラインが資金難で破綻したため頓挫した。年賀状を出すときに何と添えようかと思ったが、控えた。

 両親は以前に比べて衰えている感は否めなかった。今の家でいいのか、ケアハウスに入居するのか、それは哲也自身が東京暮らしを続けるかどうかという問題でもあった。買い物は家から三百メートルほどの場所にスーパーがあるものの、北九州市内では「買い物難民」と言われる高齢者が増え始めていた。

 紫川を渡ると右手に四十階建てのタワーマンションが現れた。東京では珍しくないが、ここではさすがに目立った。景色はさぞかしよいだろうと思ったが、シングル向きの部屋がないのは残念である。

 バスを降りて正門への坂をあがっていると校舎はマダ以前のまま建っていた。グランドと講堂の境を進んで体育館やテニスコートのあった場所を見ると四階建ての新しい校舎が見えた。それが南棟で北棟が完成すれば古い校舎は取り壊しという手順である。

 竹刀の音が止んで出迎えの準備に移ったようだった。哲也は道場のなかを突っ切って教官室に進んだ。着替えるのは柔道場である。もう大学生になっている者も何人か来ていた。

 午後一時からの稽古初めは今年も二階のアリーナだった。こちらは底冷えしている状態である。毎年来ている一期下の永田は今年は不在で、十四期ほど間が開いた状態だった。会長の孫娘は小学生だが、連れてもらってきていた。

 最初に来た者に切り返しをさせてもらってから地稽古に入った。稽古は土曜日の夜のみ、十二月以降は寒い日も多くて稽古はほとんどしていなかった。面に来たのを胴に返したが、垂れにあたってしまった。最後の一本勝負では小手を取られた。

 

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