« 松田憲忠・武田憲史「社会科学のための計量分析入門」ミネルヴァ書房 | トップページ | まず「官兵衛」から・・・ »

2014年1月 5日 (日)

Our generation

Q大学法学部の学生を主人公にしました もうひとつの作品と並行して進めることで・・・

 福岡空港に着陸するプロペラ機がキャンパスの上を通り過ぎた。青い機体なのでたぶん対馬か五島の便だろうとヒロは思った。エンジン四発の747を見たときはその轟音と迫力に感動した。昔は1時間に二便くらいは飛んでいたそうだが、全体に機材はダウンサイズ化されてよく見かけるのは737や320、プロペラ機である。

 ヒロは福岡市の西、愛宕浜で育った。父は福岡市の職員で、母も栄養士の仕事をしていた。小学校から剣道をやって中学・高校とクラブで続けたが、大学では部に入らずに最初に世話になった少年剣道教室で指導員の補助のようなことをしていた。稽古をしている場所は卒業した中学校の体育館である。

 高校は西新にあるS高校だった。通学は自転車で十分程度である。室見川の河口にかかる橋を通るときは冬の北風が一番嫌だった。剣道部では何とかレギュラーに入ったが、インターハイ予選も玉竜旗もこれといった結果は残せなかった。部の仲間のうち、二人が東大に進んで剣道部に入った。

 ヒロが入ったQ大学は一・二年が福岡の西にある伊都地区のキャンパスで全学教育を受けるようになっていた。三年生になると工学部は伊都、それ以外は福岡市の東の箱崎キャンパスで専門の教育を受けた。平成十七年に伊都のキャンパスが作られたときに真っ先に移動したのは工学部の航空工学コースで、福岡空港の進入路の真下にいるのは危ないと専門的に知っているからだろうと言われた。

 伊都キャンパスが整うにはかなりの時間がかかり、全学教育はヒロが入る前年まで大濠公園の南にある六本松というところで行われていた。剣道部の活動は伊都キャンパスの一番奥にある武道場と箱崎の二箇所に分かれていて、土曜日は箱崎に全員集合、それ以外は伊都と箱崎で別々という状態だった。それがヒロの大学では剣道部に入らないという表向きの理由となった。

 伊都キャンパスは丘陵地帯にあって正門から一番奥の武道場まで高低差が五十メートル、距離は一キロほどあった。JR筑肥線のQ大学研都市駅からバスが頻繁に出ているので、ヒロは自宅近くの姪浜から電車とバスを乗り継いで伊都に通った。全学教育は正門のそばの校舎で行われた。初代総長で会津出身の山川健次郎博士の胸像もすぐそばに置かれていた。

 三年生になってから姪浜から筑肥線というのはなくなり、地下鉄で箱崎に向かうルートとなった。姪浜は福岡市営地下鉄とJRの境界になっていて、箱崎で活動する運動部の部員は姪浜に下宿するのが便利だった。欲をいえば箱崎を通る電車が中洲川端や西新ではなく姪浜まで走ってくれれば有難かった。

|

« 松田憲忠・武田憲史「社会科学のための計量分析入門」ミネルヴァ書房 | トップページ | まず「官兵衛」から・・・ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: Our generation:

« 松田憲忠・武田憲史「社会科学のための計量分析入門」ミネルヴァ書房 | トップページ | まず「官兵衛」から・・・ »