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2013年12月13日 (金)

その先へ飛ぶこと〔66〕

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 熊本を出発して少し行くと右手にS大学のキャンパスが見えた。在来線の線路の脇にある丘にあって大学名のついた駅もあった。ここには経営学部があってトモヒロの学部とは競合する関係である。「つばめ」はいくつかトンネルを抜けて新玉名に止まった。駅の周辺にはマダ何もなかった。在来線の玉名駅とは少し離れていた。

 県境を越えると新大牟田でここも在来線の大牟田とは離れていた。博多との移動だけなら西鉄電車を使うほうが便利なため、乗ってくる人はいなかった。筑後船小屋は左手に在来線の駅もあった。ここでも乗り降りはなかった。それから久留米までは左下を在来線が並んで走る形だった。

 久留米は久大線との乗り継ぎ駅のためか少し乗降があった。この駅も線路の両側にホームを作ったという簡単なもので、ホームには通過列車の風圧や線路への転落を避けるためにドアがつけられていた。久留米を出ると新鳥栖だが、後続の列車に抜かれることもなくすぐに発車した。

 佐賀と福岡の県境となる長いトンネルを抜けると「つばめ」は坂を下った。右手に山陽新幹線の車両基地が広がった。列車はスピードを落として100キロそこそこのスピードで市街地を走り、左下に在来線が寄ってくると博多駅はすぐだった。「つばめ」が止まったのは在来線に面した行き止まりのホームで、上には阪急百貨店の入った建物がのしかかった。

 吸収新幹線が開業したときに線路の上には阪急、西口は駅ビルが建て替えられて屋上には展望台が設けられた。空港が近いために高さは10階で、博多湾に向かう通りに面したビルも高さが揃っていた。レストラン街や書店、鉄道模型の店などが入って休日は大変な人出だった。

 乗り換え改札口から中央通路に通じる改札口に出るとタクシーに乗り込んだ。妻と娘は後部座席でトモヒロは助手席である。元日とあって道路は空いていた。家に着いたのは午後五時過ぎだった。郵便受けには年賀状が入っていてその仕分けをするのが最初の仕事になった。

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