その先へ飛ぶこと〔70〕
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次は城野にあるK商業とS高校である。モノレールは集合住宅や一戸建ての並んだ住宅地の間を進んだ。市立大学への非常勤としての出講は前年で終わった。交通学会に所属する先生が赴任して担当するからである。都市高速の下に入って分かれると城野だった。K商業はモノレールの改札を出てすぐの場所が正門である。
リーマンショックによる就職難の影響もあって生徒の進路は大学や専門学校が増えていた。しかし、管理栄養士については地元、経済・経営関係はQ国際大という流れてある。トモヒロは早々に退出してS高校に向かった。ここには在学中の者が二人いて一人は基礎ゼミで担当していた。
進路指導の先生もその学生は知っていたが、やはり遠くに下宿の必要があるところは難しいような感じだった。S高校は有名なアニメ漫画家の母校で、クリエーター的な専門学校に行ったりする者もいるという話である。トモヒロは校門を出ると近くのスーパーのフードコートでラーメンを食べた。
JRの城野駅は一時間に四本の各駅停車があった。南小倉まで一駅、そこで降りるとW高校だった。近くに栄養学部のある大学が出来るまでは一年に十人前後の学生がきていたが、ごっそりさらわれてしまった。その大学は立派な建物で、栄養学部とリハビリテーション学部を持ち栄養士の合格率はN大学より上だった。
「すぐそこにありますから」
進路指導の先生は名刺に続いてパンフを渡すとそのように答えた。
「福岡市にある大学に行きたいという生徒さんがおられましたらよろしくお願いします」
W高校からはQ州大学に一・二名、S学院やF大学、Q産業大学にも行っていた。元々は女学校で栄養士の可能性は高かった。
トモヒロはその大学とは関係のない私立を訪ねるとバスで旦過に移動した。ここにはYゼミナールがあって浪人生向けにセンター試験利用をお願いした。
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