その先へ飛ぶこと〔61〕
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十一月の第二土曜日に物流学会の九州部会が行われた。会場はトモヒロの大学である。二階の小会議室は十五人くらいしか入れないが、出席はいつも十人前後だった。今回はQ産業大学の准教授が「ベトナムの交通事情」山口県のシンクタンクの研究員が「東日本震災における鉄道貨物輸送への影響」というテーマで話すことになった。
長年、部会を仕切ってきたQ産業大学の教授は定年で引退し、長崎の先生も定年になってから福岡に出てくることがなくなった。K学園の先生は高速道路休日1000円のあおりによる渋滞で大幅遅刻をしてから高速バス利用をJRに切り替えた。K学園はJR豊肥線の水前寺の近くである。
「このたびは引き受けてくださることになってありがとうございます」
トモヒロはk学園の先生に挨拶した。ゼミ生はS学院大は不合格だったが、K学園で引き受けてもらえることになった。
「英語力が・・・だったけど、それは今後の奮起ということで。ところで、新幹線はヤッパリ違いますねぇ。あっと言う間」
「夏に乗りましたが、急がなければ高速バスでしょうか。私は行きはバスで帰りが新幹線です」
まず妻の実家がある武蔵塚というパターンは変わらなかった。新幹線が改行する前の博多・熊本の二枚切符は開業後に1000円高くなった。
「大阪まで行くのに飛行機か新幹線かで少し迷うようになりましたねぇ」
トモヒロは夏の集中講義のときのアンケートを思い出した。大阪に行ったときの利用手段は小倉だと九割が新幹線で残りが昼または夜のバスである。東京になると新幹線が七割に落ちで飛行機利用の割合が高まった。真っ先に答案を出して半分しか書いていなかった者はアンケートも出していなかったので、残念ながら「不可」にした。学生の八割には「優」を与えた。
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