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2013年12月 5日 (木)

その先へ飛ぶこと〔58〕

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 市立大学のキャンパスは高校の敷地並みで、N大学と五十歩百歩である。もともとは外国語専門の大学で入試難易度も外国語学部が高かった。その後、法学部・文学部・商学部ができたが、商学部は経済学部になり、平成になってからは別の場所に工学部が作られた。教員の研究室と事務局は十五階建てのタワーに入り、トモヒロの講義もこのタワーの二階にある大教室だった。

 十階にある講師控え室に行って出勤簿を押した。ここは東向きになっていて窓の下には道路を挟んで陸上自衛隊の駐屯地が広がっていた。その向こうには刑務所があり、刑務所の向こうは宅地化された丘陵だった。丘は南のほうにも連なり、一番高いところには学校が建っていた。北のほうは標高六百メートルの足立山である。キャンパスの周囲は集合住宅がひしめいていた。

 最後の五コマは、アメリカの航空、ヨーロッパ・カナダその他の航空で、日本の航空を二コマ、そして最終試験という手順になっていた。じっくりやればとても話しつくせない内容を手短にやらなければならなかった。

 アメリカの航空はまず1925年の郵便輸送の補助金というところから入った。監督官庁は商務省、それから1938年に民間航空委員会が発足、1978年の規制緩和で競争が激化し、イースタンやパンアメリカンと言った名門がつぶれたという展開である。

「新規参入した会社としてピープルエクスプレスがあります。従来の会社の半値以下という運賃を売り物にしたのですが、既存の会社はマイレージというサービスで対抗しました。また、コンピュータの予約システムを整備して旅行代理店の予約を自社に誘導しやすくしています。もちろんインターネットの時代になって直接販売が可能となるとこの優位性は消滅しました」

「いくつかの拠点空港を中心としたハブ&スポークという路線展開でコスト競争力の強化が図られました。一方でサウスウエストのように需要の多い路線に集中して参入するという戦略を取ったところもあります」

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