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2013年11月23日 (土)

その先へ飛ぶこと〔46〕

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 入梅したとはいえ、天気は上々だった。大阪湾に浮かぶ関西国際空港から明石海峡大橋にかけての海岸線や仁徳天皇陵まで見ることができた。知多半島から渥美半島にかけての海岸線や山の中で工事中の第二東名もはっきりわかった。富士山は雪が解けてチョコレートムースのようだった。高度が下がりはじめると伊豆大島の空港が目に入り、房総半島をかすめて羽田へのアプローチが始まった。

 ゴルフ場がサンゴに張り付いたオニヒトデのようなグロテスクな様相を見せていた。千葉市のあたりで東京湾の上に出たので着陸は南に向かってかなとトモヒロは思った。右の窓で夜ならばディズニーランドの打ち上げ花火を見ることもできた。日没には少し時間がある状態でA320は臨海部の倉庫の上を左にゆっくり旋回して湾岸高速の上から羽田の内陸側滑走路に下りた。

 S航空のゲートは第一ターミナルの一番南のようだった。ここはJ航空に吸収されたD航空の北九州便の定位置である。バス移動にはならずブリッジを渡ってターミナルビルに入れた。モノレールに乗れる到着口まではかなり距離があって「動く歩道」をいくつも乗り継いだ。福岡空港からの便ならばJ航空、A空輸ともに到着口のすぐ近くに着いた。

 浜松町でJRに乗り換え、秋葉原で総武・中央緩行線の電車に乗り換えた。トモヒロが市川と秋葉原を通勤していた頃の黄色い電車は完全に姿を消してステンレスに黄色いラインを入れた新しいタイプばかりになった。飯田橋の駅は以前とまったく同じ湾曲したホームで乗り降りに注意しなければならないのは同じである。

 飯田橋から少し歩いた場所にあるホテルはトモヒロのお気に入りだった。もとはJRの貨物駅で紙専用の貨物列車が出入りした。紙の輸送もコンテナに切り替えられて駅は廃止され、JR貨物の本社ビルとJRの関連会社が運営するホテルとなった。秋葉原のWホテルと同じく夜遅くまで電車の走る音が聞こえる環境だった。

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