その先へ飛ぶこと〔31〕
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門司港駅から田ノ浦へ延びる貨物線を渡った。北九州港の調査研究をしていた頃、この線路を活用してレール&シーの一貫輸送ができないか検討したことを思い出した。Y銀行門司支店の古風な建物の脇から細い道に入ると赤レンガの「九州鉄道記念館」である。この建物は九州鉄道の本社として使われていた。
入り口を入ると屋外展示としてプラットホームの形で車両が一列に並べられていた。一番手前は9600型という蒸気機関車で大正時代に作られた貨物用である。筑豊で石炭列車を牽いていたと説明されていた。その次はC59という蒸気機関車で一号機だった。急行列車を引っ張るためのもので、最後は熊本機関区の所属ということでトモヒロは親近感を覚えた。
EF10という茶色い電気機関車は関門トンネルができたときに使われたものである。ED72という真っ赤に塗られた電気機関車は一号機で九州が電化されたときに導入されたと説明された。キハ09というオレンジとクリームに塗られたディーゼルカーは運転台の部分が丸みを帯びていて面白かった。小さい頃、豊肥線をこんな色のディーゼルカーが走っていたなと思い出した。
481系という電車はクリームとエンジに塗られていた。これも熊本駅を発着する特急「有明」に使われていたので懐かしかった。大学生の頃、新幹線とこれを乗り継いで東京と熊本を往復した。581系はクリームとブルーのツートンで世界最初の寝台電車とあったが、乗った記憶はなかった。やはり学生時代に乗った「みずほ」や「はやぶさ」は機関車が客車を引く形である。
最後にセラという石炭用の貨車を見て赤レンガの建物に入った。一階は運転シミュレータや明治時代の客車があり、二階に上がると列車に関する資料がいろいろとあった。ライブラリーもあって研究者には離れられないところだなと思った。学生たちは別のグループと携帯電話で連絡を取り合い、午後三時過ぎに門司港駅に再び集まることになった。
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