その先へ飛ぶこと〔52〕
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トモヒロは机に置いていた北九州市の「小倉日記」という菓子を勧めた。まだ空港に関する調査にも関わっている関係で、そちらに足を運ぶことがあった。S急便の夜間貨物便はすぐに運航休止となり、あとはA空輸子会社に何とか入ってもらえないかと地元は考えているようだった。福岡空港が夜十時から朝七時前使えない状態は全く変化なしである。
「九州新幹線も八代と川内は切り離されたのに川内と鹿児島が残ったのはやはり利用者数の違いなのでしょうか」
「それは鉄道統計を見ましょう。でも博多と熊本もずいぶん変わってしまったみたいだね」
「鳥栖から南の各駅停車は二両しかつないでないみたいです」
「たぶん長崎への新幹線が出来たら同じようになるのかも、というか肥前山口から諫早まで第三セクターというのが」
「もともとの長崎街道は武雄から嬉野を通っていたんですね。自動車道もそうで、今の長崎本線は昭和九年に後から」
「佐世保に海軍の基地があったのは大きいからねぇ。その近くの大学に集中講義で言ったことあるよ。佐世保駅の近くのホテルに泊まって松浦鉄道の大学駅というところまで乗ってた」
そのときに都市交通論と観光論をやった。都市交通では航空と鉄道を軸に話したが、出席確認では大学への交通手段とか長崎・福岡・大阪・東京などへの移動手段をアンケートとしてデータを収集した。車を持たない学生も多く、長崎は大村線、福岡は高速バスがやや多く、JRの特急「みどり」は少数派、大阪は新幹線、東京になると飛行機である。トモヒロは年によって特急「みどり」にしたり拘束バスにしたりと変化した。
「では鉄道統計も参考にして書き進めます」
「わかりました。あと英語のペーパーテストの対策も忘れないように」
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