その先へ飛ぶこと〔47〕
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夜はホテルの外の牛丼屋で済ませ、バイキング式の朝食をするとチェックアウトして地下鉄で経団連会館に向かった。受付からパネリストの控え室に通されてコーヒーとクッキーを供されてほかのパネリストと名詞の交換を行った。パネリストはシンクタンクや交通評論家と言われる人たちで貨物の専門はトモヒロだけである。
会場は定員三百人の講演会用の部屋である。参加者はファクシミリやeメールで事務局に申し込むこととなっていて272人が参加するということでリストも配られた。古巣の関係者がいるか探してみるとN通運本社の航空事業部から一人入っていたが、それだけである。小倉駅の北にあるホテルで行われたシンポジウムでは113人が参加してN通運の北九州支店から一人名をつられていた。
基調講演としてH大学の先生が北九州空港に関して30分話した。福岡空港が午後十時で運用できなくなるのをカバーできる事例としてワールド・ベースボール・クラシックで優勝したメンバーの福岡帰着が北九州経由で午前一時にできたということが挙げられた。一方で朝五時半に羽田・北九州双方を出発する便の利用率が極度に低いというのも問題として挙げられた。このシンポジウムに北九州から参加するには便利だが、それだけの需要はマダないということである。
貨物の可能性ということでトモヒロは見解を述べた。福岡県東部から大分県北部と山口県西部を発着する航空貨物の絶対量の問題、国際貨物が成り立つかどうかといったところである。北九州をハブにして東アジアと北米・ヨーロッパの貨物を中継するというのはあまりに大風呂敷になるので言及は避けた。
午前九時から正午までシンポジウムは続いた。終わると控え室で高級な弁当を供され、午後三時過ぎに羽田空港を出るS航空の便に乗るために都営地下鉄の駅に向かった。帰りは福岡空港にしたかったが、やはり北九州空港からの交通について体験しなければいけないということで同じルートに決めた。
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