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2013年11月26日 (火)

その先へ飛ぶこと〔49〕

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 平成二十三年度のトモヒロの担当科目は基礎ゼミと専門ゼミ、物流産業論と観光産業論だった。職位は准教授で、校務は学生委員会と入試委員会である。他大学への非常勤としての出講は二十一年度から北九州市の市立大学で交通論を集中講義として行っていた。

 娘は中三になり、高校をどうするかが問題である。中学も公立で高校から付属高校ということも頭の隅にあった。県内最難関の公立S高校は自宅から約二キロの位置にあるが、そこは少し厳しかった。J高校もそれなりのレベルでこちらは歩いて五分くらいの場所である。

 前年度の終わりに発生した東に本題震災では「ボランティアしなきゃ」という空気がキャンパスに漂った。「遠隔地すぎることと現地がまだ落ち着いていない」ことを理由に自重するように学生委員会としてアナウンスしたが、それは新年度が始まってからも変わらなかった。「ボランティアしたら単位として認めて欲しい」という声が学生や教員の一部からあったが、学生委員会と教務委員会で話し合った結果、ボランティアは夏季休暇にという通達を出した。

福島第一原発の事故でトモヒロは阪神大震災直後に職場であったやり取りを思い出した。地震の初期微動継続時間をTとして震源までの距離X、X÷4-X÷8=Tで、X=8T すなわち初期微動継続時間を8倍すると震源までの距離がわかるということである。それで25秒の揺れが続くと震源まで200キロ、東京から浜岡原発も福島原発も同じ距離ということである。震度6の揺れに原子炉は耐えられないかもしれないということだった。

 東京で地震が起こったら妻と娘は九州に非難させる。しかしその必要はN大学への転身で解消した。そして懸念された「帰宅難民」になるという問題は確かに発生した。その日、首都圏の鉄道は麻痺し、研究所の面々はそのまま泊り込んだそうである。

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