その先へ飛ぶこと〔39〕
前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m
「N通運でもN鉄道でも一次面接ではグループ討論ということになりました。Q大学とかS大学という名を聞いても臆さないようにするのが大事ですが・・・ヤッパリ差を感じさせられたりでした」
「グループ討論の内容ですが、N通運では海外進出、N鉄道は少子高齢化というところで、それぞれの企業が重要と考えていることがテーマになつていました」
N通運はトモヒロが研究所にいたころから三国間の物流や海外進出した企業のロジステックスを意識していた。N鉄道が少子高齢化を意識しているのは通勤・通学需要の減少だろうなと感じた。それは車内広告のことで打ち合わせをしていたときに聞いた。
「N運輸になった経緯ですが、N鉄道のグループもということで、これは就職委員会の先生方のアドバイスも受けてです」
学生の間からは特にこれといった質問も出なかった。お開きになると演壇に立った学生には就職委員のスタッフから金一封が渡された。
会場の片付けが終わると夕食と少し酒を入れるために委員長の誘いで区役所近くの居酒屋に移動した。外はすっかり暗くなり、木枯らしがひときわ冷たく感じた。トモヒロのほかには事務のスタッフも加わった。
「公務員ももう少してこ入れしたほうがいいですかね」
乾杯のあと委員長が呟いた。とにかく合格率がいまひとつなのが気がかりである。警察や自衛隊・消防、さらには刑務官や税関職員とさまざまな分野があった。
鍋を囲んでビールそれから焼酎三杯と飲むと午後八時には解散した。委員長は二日市市に住んでいて地下鉄で薬院まで行ってN鉄大牟田線に乗り換えである。他は国道202号をバスで通勤していたり、トモヒロと同じように大学から歩けるところだった。
| 固定リンク
コメント