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2013年11月10日 (日)

その先へ飛ぶこと〔33〕

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 九月下旬に物流学会の全国大会がR大学で行われた。茨城県の龍ヶ崎ではなく、都心に近い新松戸キャンパスが会場である。トモヒロは金曜日の昼過ぎに福岡空港からA空輸に乗り、新橋に移転したN通運本社を訪ねた。研究所も一緒に移転したが、創設者の一人である森岡氏は六月に亡くなった。

 宿は秋葉原のWホテルである。N通運が移転した後にはS不動産が新しいビルを建てた。秋葉原駅の電気街口の北にあった広場には立体駐車場、貨物駅だった頃のホームの跡にはYカメラ、Wホテルから総武線ホームの下を貫く道路ができて、中央改札口が新設された。

 朝八時にチェックアウトしたトモヒロは、つくばエクスプレスの駅に向かった。秋葉原駅は東京と上野を結ぶJR山の手線と京浜東北線が南北に走り、それと直角に総武線がまたいだ。駅の東には地下鉄の日比谷線があって、総武線のホームから長いエスカレーターで地上に降りてさらに階段を下りるという関係である。

 南北に走るJRの線路と平行するような形で筑波に向かう新しい鉄道が開業したのが一ヶ月前だった。駅は地下に作られて隅田川を渡り終えたあたりで地上に出るということだった。筑波は鉄道空白エリアだったが、最高百三十キロで走る快速電車は四十五分で走った。

 トモヒロは南流山までの切符を買って改札を入った。地下にあるホームはドアが設けられて東京時代にさんざん悩まされた「人身事故」はないかなと思った。もっともホームとの仕切りは電車のドアの半分くらいの高さである。トモヒロは快速電車の一番後ろから二両目に乗り込んだ。

 北千住を過ぎると電車は各駅停車ではなくなった。勢いよく走り抜けて地下にもぐると南流山である。JRの武蔵野線のオレンジ色の電車に乗り換えると一駅で新松戸だった。R大学のキャンパスはここから西へ徒歩五分である。帰りはJRで秋葉原に戻るつもりだった。学会は出張という扱いで交通費精算はJRである。

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