その先へ飛ぶこと〔25〕
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平成十七年四月にトモヒロは助教授に昇進した。物流産業論の他に留学生向けに「ビジネス日本語」を担当することになった。留学生の就職対策ということで、履歴書の書き方や面接での受け答えに重点をおき、入社してからの必要な会話はN通運時代の新入社員研修のテキストを拝借した。
校務のほうは就職委員会に加えて広報委員会が割り当てられた。大学案内自体は前年度の委員が作成していたが、次の年度に向けての準備という意味合いが強かった。大学の広告は新聞や駅などの交通広告を地元の広告代理店に委託して作るということになっていた。
娘が小学校に上がるのを機会に引越しをした。場所は大学の裏手に近い茶山というところである。車は依然持たずにすませた。スーパーは近くにあるし、天神や博多駅に行くならバスである。二月には天神から福岡市の西南部へと新しい地下鉄の路線が開業した。F大には最寄の駅が出来、N大学も正門から二百メートルで改札にたどり着けた。
地下鉄は天神地下街の南に入り、空港や博多駅に行くなら五百メートルほど歩いて乗り換えという状態である。車両はトンネルの断面を小さくするためにリニアモーター式のミニ地下鉄となっていた。四両編成でホームにはドアがつけられていた。出席チェックも兼ねて学生に利用アンケートをしてみたらバス利用のままが意外に多かった。
三月の終わりに入りかけた頃、福岡市の北西部を震源にした地震が起きた。震度六は東京にいたときにも経験したことはなかった。トモヒロはちょうど研究室にいたが、部屋の両側に置いた書棚の一部が床にちらばった。自宅に急いで戻ってみると食器棚は無事だった。
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