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2013年11月19日 (火)

その先へ飛ぶこと〔42〕

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 モノレールで浜松町に出てJRのガードをくぐって線路沿いに歩くとN通運本社だった。研究所も社員食堂も浜離宮を見下ろす絶景である。もっとも研究所は各部の部長が窓を背にして座るスタイルなので景色を眺めることはできなかった。入り口の守衛もトモヒロが退職した頃の人はいなくなって若いスタッフになっていた。

 研究所のフロアに入ったのは午後四時だった。年度末の仕上げでフロアにはキーボードを叩く音が響いていた。ファクシミリではなくメールでやり取りするようになったものの、中身をプリントアウトする必要は変わらないようで、プリンタの音も止まなかった。経済研究部はトモヒロに近い年代はそのまま残って担当部長に昇進した者と経済分析を続けながら大学で非常勤をしているという者の二人だけである。

 前年の秋にN通運本社と研究所では五十歳以上の社員に希望退職を募った。そのとき研究所で五十歳を超えていた研究職は全体の一割だった。全員が割り増し退職金と引き換えに三月末までに退職となり、有休の使いきりのため姿は見えなかった。トモヒロがそのまま研究所にいたとしたら希望退職にはひっかからないものの担当部長には昇進していなくてはいけない年である。

 トモヒロが研究所を去った頃の後輩たちは研究主査という肩書でN通運本体ならば課長補佐あたりの役職だった。その後に入ったのは中国人留学生が三人でいずれも研究員という段階である。やはり中国戦略を念頭に置いての採用であるが、あとは本社からの「天下り」というところだった。

 みんな忙しく、資料室のほうに移動した。ここに夕方からの懇親会に出る人が来ているはずと思ったが、それぞれの校務のためか誰もいなかった。秋葉原から新橋に移る際、資料の多くは品川にある物流博物館のほうに運ばれた。そのため資料室といっても学術研究をする人の受け皿にはなれなかった。資料室の女性スタッフも博物館に移動することとなり、室長は希望退職することになった。

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