その先へ飛ぶこと〔26〕
前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m
流通科学部の校舎は正門から坂を登って二階から入るルートと西門をくぐって一階から入る二つのルートがあった。茶山に引っ越してからは西門を入るのが便利だった。事務室は二階で、一階は学生食堂である。階段を登って事務室の出勤簿に判子を押し、メールボックスに入っているものを取り出した。
交通学会の年報入りの封筒が受け取ったものの中で一番大きかった。前年秋のF大学で行われた全国大会ではネットスーパーに関して報告した。本来は物流学会のテーマとすべきものだったが、高齢者の交通問題という視点も交えた。もちろん高齢者はインターネットをまだまだ使えないため、将来的にはという結論である。
物流から交通へと研究分野を広げるため、観光にも手をつけた。N大学では観光の講座を設ける計画はないようであるが、九州は観光を将来の柱と捉えているため、やっておくのに越したことはないとトモヒロは思った。交通について興味を持つゼミ生のため、航空や鉄道に関する書籍も研究室に揃えた。
研究室に行く前にトモヒロは手洗いに足を運んだ。家のトイレを使うと後の匂いがはばかられるという悩みが学会のときの懇親会でも出て娘が大きくなると家ではなく職場にきてやっているという人もいた。ウォッシュレットでないのが難点で、さらに三つある個室のうち二つがスクワットのタイプという状況である。
洋式の戸は「故障中」という張り紙がされていた。仕方ないなと思いながら一番奥の「個室」でしゃがんだ。三分以上しゃがんだ状態でいたら足がしびれそうになって壁を手でつかんで立ち上がるという羽目になった。
研究室はずっと油山を正面に見るところで変わらなかった。パソコンを立ち上げてメールをチェックすると授業のあとに行われる広報委員会のことが入っていた。添付ファイルを開くとトモヒロの関係する交通広告について路線見直しの案が出ていた。
| 固定リンク
コメント