« ななつ星 博多駅到着 | トップページ | ななつ星の機関車です »

2013年11月21日 (木)

その先へ飛ぶこと〔44〕

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 会長との話はいろいろと示唆に富むものだった。研究所時代、シベリアランドブリッジやチャイナランドブリッジに造詣が深く、トモヒロも薫陶を受けた。シベリアランドブリッジは1970年代に日本とヨーロッパを結ぶ鉄道コンテナ輸送としてスエズ運河周辺の情勢が不透明だったことから注目を浴びた。

 チャイナランドブリッジは天津や上海などからシルクロードのルートを進み、中央アジアにつながるルートだった。こちらは中国と旧ソ連のレール幅の違いという問題はあったが、ヨーロッパには距離的に2000キロは短くなるという利点があった。そして朝鮮半島の南北が解決すれば昔の東京・ロンドン一貫輸送も復活すると期待できた。

「そうなると下関・プサンとなって福岡にはメリットないですね」

「半島は当分期待できないから博多・上海じゃないかな」

 お開きになって一同はエレベーターで下に降りた。時間は午後八時を過ぎたところである。N通運の本社ビルは勾配のところに建っていて来客用の玄関は1階、社員の通用口が地下1階となっていた。地下といっても勾配の下から見ると1階である。エレベーターの脇には武道場の入り口があった。N通運には剣道部があって、秋葉原時代は慢性橋の警察署に行っていたが、新しい本社ビルでは同情が備えられた。

 赤胴を着けた小学校低学年の女の子が母親に連れられて出てきた。さらに小学生検視が次々に現れた。守衛に尋ねると「地域貢献の一貫として周辺住民にも開放している」と答えた。東京の都心に人が住むようになったとは聞いていたが、それを見ると驚きだった。同時に自宅との移動はどうしているのか気になった。

 トモヒロの宿は芝公園のそばである。早春の夜風はまだまだ冷たかった。JRの高架を新幹線が通り過ぎた。

|

« ななつ星 博多駅到着 | トップページ | ななつ星の機関車です »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: その先へ飛ぶこと〔44〕:

« ななつ星 博多駅到着 | トップページ | ななつ星の機関車です »