« 谷口先生のクラスでは | トップページ | バスの車内で・・・ »

2013年10月23日 (水)

ロンゲストマーチ(53)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 昭和五十九年夏の甲子園は県のベスト4で終わった。最後の相手はF大学付属O高校である。竹村は八回にO高の三・四番に連続ホームランを浴びた。マウンドの上で彼は笑っているような表情をしていたが、心の中が違うことはハッキリわかった。そしてロンゲストマーチの中で竹村は内野フライ、最後のバッターはショートライナーに倒れた。

 甲子園に出場したのはH大付属である。リトルリーグの後輩は控えの投手だったが、甲子園のマウンドにも立った。P学園が夏の二連覇を達成するのかと思われたが、茨城のJ学園が阻んだ。

 秋になると毎週模擬テストだった。共通一次を意識したマーク式と二次試験の記述式である。栄作は私立文系のみということで数学と理科を捨てた。受けてもK高の平均値を下げるだけということでこの二教科には出なかった。とはいえ学校独自のテストは渋々参加した。

 共通一次まで二ヶ月となって土曜の午後は数学と理科、日曜日は英語、国語、社会という日程になった。栄作は土曜日は早退して、日曜日は英語が10時開始であるものの、いつもと同じように八時には登校できるように下曽根からの電車に乗った。

 四人用の席にも座れるほど電車はがら空きだった。城野で降りるN中の後輩たちの姿もなかった。行橋あたりから通う者はかなり増えていた。「Kが無理ならMかな」という声も耳に入った。

 城野を出て少し西に走ると下を道路がくぐり、上をモノレールがまたいだ。小倉駅前の通りから真っ直ぐ南に六キロほど走り、東に向きを変えてJ高校の近くに行く全長八キロの路線である。年が明けると開業することになっていて原田もバスからモノレールとバスに切り替えると言った。それはモノレール沿いの道路の渋滞が激しくて時間がかかるからである。

 剣道部は岡部の次に永田がキャプテンとなり、原田は副キャプテンだった。応援団の次の団長はN中出身である。九月の野球部の新人戦は九州大会を目前に南部のK商業に敗れた。

 大門の歩道を歩いていると四両の電気機関車は姿を消していた。工場の敷地内に移されて解体されてしまったんだろうなぁと鉄道研究会の者は言った。色んな種類の貨車をつないだ列車がなくなってコンテナ専用の列車に切り替えるというニュースを彼から聞いた。

|

« 谷口先生のクラスでは | トップページ | バスの車内で・・・ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ロンゲストマーチ(53):

« 谷口先生のクラスでは | トップページ | バスの車内で・・・ »