« 平井剣友会の集合写真 | トップページ | 平井剣友会の思い出写真 »

2013年10月16日 (水)

ロンゲストマーチ(46)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 赤レンガの三階建ての七十周年記念館は、一階に生徒会室、二階に合併教室、三階は校史資料室があった。校史資料室が明けられるのは入学式直後などの限られた時期である。ここには甲子園の二連覇記念に関するものや旧制中学時代の様々な史料が展示されていた。

 例えば昭和十五年卒業で陸軍士官学校や海軍兵学校に進んだ人は三人に一人が戦死していた。同窓会の名簿もそれが分かるようにページが開かれていた。生きていたら大学の教授や有名企業の社長や役員になつていたかもしれないというようなことを追憶している同期生の文章があった。

「つまり優秀な人から死んでいったわけですね」

 入学式の直後に資料室を見たときにそんなことを言った者がいた。それは「特攻隊で突っ込んでいったのも操縦がうまい人から」というのと同じだった。高校生活も折り返しを過ぎたが、栄作が百五十番以内に入ることもなかった。

 二階の合併教室は追試に使われた。運動部のご用達とまで言われたが、さすがにここにくることはなかった。それでも数学でギリギリだったこともあった。100点満点で40点未満だと赤点で、学年末では全ての科目の合計が四割五分に行っていないと「総点切れ」といって落第になった。運動部は体育で稼ぐのでギリギリでクリアというようなところだった。

 一階にある生徒会室は体育大会や文化祭の前は戦場になった。十一月はこれといったイベントもなく比較的静かだが、それでも生徒会の役員はここをたまり場にしていろいろとやっていた。N中出身では三浦が書記長になって欲しいと頼まれて就任した。応援団の女子二人が保健副委員長と計理の副委員長で役員になっていた。

 十一月も終わりに近い土曜日、二学期の期末試験前なのに生徒会室は開いていた。会長は戸畑にあるN中の出身で中学でも生徒会長だった。30番前後にいる彼はQ大学以上のところを目指しているはずである。付属中出身の副会長は合併教室に時折入っていた。弓道部は東大に行く人もいる優秀なクラブだが、例外と皮肉られていた。

 栄作は生徒会室に入ると空いた椅子に腰を下ろした。会長はノートを開いて何かを書いていて三浦はギターを弾いていた。栄作が腰を下ろしたそばには印刷機があってインクの匂いがプンプンしていた。壁には文化祭で展示された前の代の生徒会役員の写真が黒リボンを落書きされて貼られていた。

|

« 平井剣友会の集合写真 | トップページ | 平井剣友会の思い出写真 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ロンゲストマーチ(46):

« 平井剣友会の集合写真 | トップページ | 平井剣友会の思い出写真 »