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2013年10月 7日 (月)

ロンゲストマーチ(37)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 晩秋の空はどんよりとして時折雨がぱらついた。今日は室内でトレーニングだなと思いながら栄作は教室から応援団室の入り口に向かって一直線の廊下を歩いた。南北に百メートル近いこの廊下はオートバイや自転車で走ってみたくなる雰囲気である。校舎はL字型に3階だが、一部は二階で上から見たらbの字に見えた。

 昭和五十七年の夏は長崎での洪水、東海道本線の富士川鉄橋が流れる大雨と異常な気象だった。野球部は夏の大会で一回戦負けというショッキングな結果だった。相手はJ高校である。K高を目指す者の滑り止めはそこの「特進コース」だった。大学受験に力を入れていて運動部に入ることは出来なかった。小松はN高ではなくここに入った。

 9月行われた大会も一回戦でS高に敗れた。竹村が二番手として四回を無失点で投げたが、五回までに失った五点を挽回することが出来なかった。130キロを超えるストレートの威力は凄かったが、コントロールに課題があって四球やワイルドピッチもあった。応援団は十一月末まで活動して三ヶ月間休みである。

 校舎の北東部は五階建てのタワーだった。階段は三階までの半分になっていてドアがついていた。四階は演劇部室でここから屋上に出ることができた。十メートル四方の鉄柵に囲まれたところで「あいうえお あお かきくけこ かこ」と発声練習をしていた。演劇部室の隅を通る形で5階への階段を上がると応援団室だった。ここが構内では一番高い場所である。

 東側の窓からは都市高速の桁と足立山、北側の窓は電車通りの向こうに新幹線が見えた。西と南は壁になっていてグランドの様子を見ることは出来なかった。講堂からはブラスバンドのトランペットの音が、敷地の北西端にある柔剣道場からは竹刀のはじける音が聞こえた。

 応援団の練習は野球場の上にある第三運動場だった。敷地の西にある第一運動場はラグビーのポールが立ち、その南の野球場が第二運動場である。外野の部分を使って体育大会が9月に行われた。野球場からスロープを上がってバレーボール2コート分のスペースになっているところで栄作は様々なバージョンの応援を仕込まれた。

 

 

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