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2013年9月 9日 (月)

ロンゲストマーチ(9)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 朝7時20分、紺の生地に七つのボタンが着いた制服を着た栄作は下曽根駅の階段を登って改札に向かった。付属中の入試は学科ではパスしたが、抽選で駄目だった。野球部のあるS中に行くよりもN中のほうがK高に行く学力をつけるにはいいと塾、小学校、両親にまで勧められてN中に入った。

 デザインが独特な制服は靴も革靴だった。鞄は前年から手提げを肩掛け式に変え、補助バッグもあった。帽子やボタンには中の字から三本の尖った光が出ていて「知・徳・体」を現すと言われた。一学年は80人で二クラス、同じ小学校だった者は一人いたがクラスは別で列車の時間も違っていた。

 門司港行きの列車は赤い電気機関車が六両の赤い客車を引っ張っていた。日豊本線も基本はピンク色の車体にヘッドライトのところだけクリームに塗った電車だが、朝夕は機関車が客車を引っ張る列車が走った。赤い客車はこの春からで、その前は茶色や青い客車だった。それらは自動ドアでなかった。

 赤い客車もドアは車体の両側だが、座席は4人掛けばかりではなく、ドアの近くは窓に背を向けるタイプで通路が広々していた。城野周辺にある高校や小倉に向かう通勤客で座席は埋まっていた。栄作はドアのそばに立ってすぐに降りられるようにしていた。小倉行きの場合、左側の景色は田園、右側は足立山と並走する国道だった。

 帰りは北側の駅舎に面したホームから乗る場合がほとんどだが、行きは必ず階段の上り下りをしなければならなかった。ここでは城野周辺の高校のほか、日田彦山線に乗り換える高校もあった。改札口は駅舎の一箇所だけで、駅のすぐ横の踏み切りを渡る人もいれば、少し先で線路の盛り土をくぐる電車通りまで歩く人もいた。

 N中は駅舎からそのまま北へと向かうルートである。国道を渡ると自衛隊の駐屯地があり、敷地の西側を真っ直ぐ行くとM女子高の敷地に行き当たった。M女子高の敷地の北東側に四階建てのN中の校舎が建てられた。N中の校舎は四車線の道に面していて、道路は東にある足立山に向かって緩やかな上り坂となっていた。

 

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