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2013年9月21日 (土)

ロンゲストマーチ(21)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 N中のグランドはM女子高と共用だった。体育館の中央より少し南、国旗掲揚台のところが境界線になっていて、そこから南は立ち入りしないようにとなっていた。昼休みは一年が月・木、二年は火・金、三年が水曜という具合に使用する日が決められ、ソフトボールをするという状況である。

 軟式のボールも使用は駄目だった。レフト方向に70mも飛ぶ当たりだと女子高の校舎直撃である。ソフトボールではさすがに校舎直撃はなかったが、境界線を越えてボールを追いかけることは珍しくなかった。栄作も校舎のすぐ近くまで飛ばしたし、センター後方には駐車場があってバウンドした球が理事長のワインレッドのドイツ車のトランクに当たったこともあった。

 グランドが使えない日は教室か図書室で過ごしたが、一年のときはベランダから下の道路を走るコンクリートミキサー車の生コンを流し込む口を狙ってチョークを投げる遊びが流行った。ミキサー車と同じ色の黄色いチョークを使ったりしたが、道路にチョークの破片がちらばっているのが発覚してベランダに出るのは禁止になった。

 おどけ者の山田が一度だけ、流し込み口にピッタリの軌道で入れてしまったことがあった。彼は若松から来ていてリトルリーグではアンダースローの投手として知られていた。ソフトボールでは時折投げることもあったが、精密なコントロールで打ちづらいというのが対戦したバッターの感想だった。

 それ以外の遊びは机を長方形や楕円に並べて下敷きや教科書・ノートでレース場を作り、BOXYというブランドのボールポンのバネで車の形をした消しゴムを飛ばすカーレースである。カーブの外側にあるライバルの車をはじき飛ばしてコースから転落させたり、机の間を開けてジャンプさせることもあった。

 火曜日で天気も悪くなかったので、グランドに出たのは21人である。栄作はキャッチャー、審判は平田だった。塁審も兼ねて一人でのジャッジである。山田はピンチの状態になったらリリーフをすると言って一人ピンク色のゴムボールで体育館の壁を使って守備の練習を始めた。

 

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