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2013年9月11日 (水)

ロンゲストマーチ(11)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 剣道部は火曜・木曜・金曜の放課後にM女子高の体育館の半分を使わせてもらっていた。剣道の授業は月曜が三年生、水曜二年生、金曜一年生ですべて五時間目に全員一緒にである。防具の倉庫が体育館の東側にあったが、栄作たちはまだ体操服で竹刀の素振りという段階である。

 体育館は観覧席もあってフロアはバスケットのコートが二つ取れる広さだった。南の女子高側にステージがあり、入学式ではここで校長が訓示をして教員の紹介も行われた。フロアの真ん中に緑のネットが吊るされて南側では女子高のバレー部やバスケット部が練習をしていた。

 授業は七十歳近い師範が見ていたが、クラブは剣道経験のある先生が入れ替わりで来るくらいで、土曜日には経験のアル保護者も顔を出した。平日は午後四時半から6時まで、土曜は午後一時から3時という具合である。この日は先生はおらず、最前列の一番左に座ったキャプテンが号令をかけた。

 三年生は7人だが、必ず来るのは五人である。二年生は六人で、防具の紐が白い中学から始めた者が3人だった。一年は経験者が二人、中学からが四人である。一番左に座るのは下関から通っている大塚で、その隣は歩いて二十分くらいの所に住んでいる岡部である。二人とも防具を着けて先輩と一緒にやっていた。

 栄作は三番目に座った。その隣は斎藤で、長崎が実家なので寮生活をしていた。斎藤の隣が平田で、北九州の西部にある永犬丸から通っていた。一番右にいるのが小松でN中から南に四キロほどの徳力に住んでいた。4月にはあと3人ほどいたが、連休が明けるといなくなった。

 体操服は上が白、下はエンジで、襟のところもエンジになっていた。三年は紺、二年は緑と学年ごとに色分けがされていた。右足前、左足後ろで前後左右に足捌きから始まって、竹刀も右手前、左手が後ろという持ちかたはまだぎこちなかった。ふりかぶって右手が肩の高さで止まるように振り下ろし、左こぶしを臍の前に戻す。その繰り返しだった。

 二年生の一人は面をかぶらずに栄作たちの指導にあたった。素振りだけでなく、水平にかかげた竹刀を打つということも始まった。自由に相手を選ぶ稽古に入ると、キャプテンが栄作に一番端っこの三年生に面を打つ練習をさせてもらってもいいと言った。大塚と岡部は白紐の二年生相手に互角かそれ以上の稽古をしていた。

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