枯れた街(26)
前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m
隅田川に架かる蔵前橋を渡ると震災記念館のある公園があった。ここは関東大震災のときに多数の焼死者が出た陸軍被服廠跡地で、慰霊の建物と合わせて見た事があった。両国国技館が近いため、「横網」なのに「横綱」と間違えられる町名である。
東京に出て間もない頃、浅草を見てから言問橋を渡って業平橋へと歩いたが、言問橋は東京大空襲で多くの焼死者を出したところだった。そしてこの一体が震災と空襲で大火災の渦中となったが、現在でも火の元はあるなと感じた。それは道路を激しく行きかう自動車である。
建物自体はコンクリートで燃えにくいかもしれないが、道に面した中には道路に倒れこむかもしれないのもあった。それが自動車を押しつぶしたとすれば・・・空襲で使われた焼夷弾の元がガソリンであったことを考えると心配の種は尽きなかった。
隅田川が渡れなければ・・・万世橋が駄目ならば、行く先は上野かなと思った。東京大学のキャンパスに逃げ込むと建物は恐ろしく古いので、倒壊した建物で化学薬品が交じり合って思わぬ有毒ガスが発生するかもしれないと言う人もいた。
南ルートのときは錦糸町駅のそばのМ井で小休止したが、北側には大きな商業施設は特になかった。日陰になるように道路の南側を歩いたが、晴れた昼間ならともかく、停電状態の夜はどんな感じになるのかと思った。交差点ごとに信号で止められ、歩くスピードも平均で三キロくらいという感じだった。
亀戸の北を過ぎて鉄道線路をまたぐところがあった。浅草から業平橋に行ってそこから東武鉄道で亀戸へと移動した。亀戸と曳船をつなぐ線は単線である。東武の亀戸はJR亀戸の北に並んでいた。道路は緩やかに坂を上り下りしたか歩道は線路のすぐそばまで行って階段という形になっていた。
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