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2013年8月 6日 (火)

枯れた街(28)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 環状七号線と金町に向かう貨物線を過ぎると再び江戸川区である。新小岩の北側は葛飾区になっていた。もう一つの中川放水路が最後の橋である。ここの川幅は50メートルくらいだった。蔵前通の上一色橋を渡らずにJRの線路寄りに架かるほうに向かった。堤防を歩いていると成田に向かう赤と白の特急電車が駆け抜けた。

 JRの高架の脇の道を進むと小岩駅である。イトーヨーカドーの地下一階に下りて夕食と3日分の朝食になるパンと飲み物を買った。そういえば保存食はあまり用意していないなと思った。一応防災用の非常袋としてA空輸のクジラのジャンボをデザインしたリュックに預金通帳、カロリーメイト三箱、軍手、懐中電灯、携帯ラジオは入れていたが、水は用意していなかった。

 電話が駄目な場合にどうするかというのも問題だった。テレホンカードはチケットショップで随時買っていて、職場の人から頼まれて買うこともあった。電車用のカードとテレホンカードを間違って券売機に入れた人は「テレホンカードには電車のデザインは駄目」と指定していた。災害時はテレホンカードが使えないとなると十円玉をたくさん用意しておく必要があった。

 携帯電話を使うようにしたほうがいいのだろうかなどと思った。N通運のほか、JR、JAL、道路公団、NTT、日本郵船の六社持ち回りの研究会があって、NTTが「パーソナル・ハンディホン」を開発しているのを見たことがあった。携帯と違って時速二十キロ以上での移動だと会話がとぎれてしまうが、その実験でハンディホン片手に走り回ったりさせられた。JRが「新型房総特急」を発表した議事録では間違って「暴走特急」とやってしまった。

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