枯れた街(34)
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宝塚線と神戸線の乗り換えは十三でないといけないはずだが、梅田まで行ってしまった。神戸線の特急は午後8時近いと楽に座れる感じである。阪急神戸線と東急東横線はブルジョワ、阪神と京浜急行はプロレタリアという雰囲気だが、リュックを背負ったスーツ姿の乗客を見ると少しイメージが変わった。
外は真っ暗で何もわからなかった。阪神沿線のほうが被害はひどいということが、タクシーに乗っていたときに運転手から聞いた。阪急の被害は三宮の駅で、デパートの二階部分に入っていくような作りをしていたが、デパートが倒壊したというものである。それから山陽新幹線の六甲トンネルのすぐそばで新幹線の高架が阪急今津線をまたいでいたが、それが落下していた。
三宮駅で下車するとWホテルまでは歩いて5分とかからなかった。歩道や建物の壁に亀裂が残っていたりして、時折ポッカリと空き地があったりした。赤レンガの外壁のホテルは一階にレストランがあり、チェックインのカウンターは二階である。会議室も二階にあった。部屋は七階で山側のシングルである。
霊感の強い人は大勢の人が亡くなってマダ彷徨っているのを感じると聞いたが、私には感じられなかった。広島空港関連のヒアリング調査で原爆ドームの近くのホテルに3泊したときも特に感じたものはなかった。前回と同じく寝付けなかったのは深夜まで響く列車の音だった。
亀井主任研究員も同じホテルに別にチェックインし、朝食のバイキングで顔を合わせた。社員の座談会は朝10時開始、社員の家族は午後一時半、それぞれ一時間半の予定である。ランチは一階のレストランということに決めた。
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