« 東日本大震災(2059) | トップページ | 東日本大震災(2060) »

2013年8月11日 (日)

枯れた街(33)

前回までの内容は「文化・芸術」のカテゴリーでご覧ください m(_ _)m

 午後6時に羽田を出発したJ航空の747は大阪空港への着陸コースに入った。左の窓側に座った私は、大阪平野に広がる夜景に視線を走らせた。本当は新幹線のエコノミー切符利用が出張旅費の精算で決められているが、行き帰りともにチケットショップで購入した航空券を使った。行きは羽田から伊丹、帰りは関西国際空港からA空輸である。

 大阪支店のヒアリングは亀井主任研究員と峰岸のペアだった。神戸支店・神戸航空支店・神戸警送支店と九州支店は1月半ばに行った。そのときもJ航空の最終便で羽田から伊丹に飛んで伊丹からバスで神戸に入った。阪神高速の倒壊現場のそばを通り、三宮のWホテルに投宿した。Wホテルチェーンは亀井主任研究員の定宿だった。

 夜が明けてから見た阪急三ノ宮駅や周辺の建物が櫛の歯が欠けたような情景はショックだった。神戸支店はポートアイランドの手前、神戸航空支店は六甲アイランド、警送支店は和田岬の近くである。移動はタクシーだった。夕方には新神戸から新幹線で博多に移動して翌朝九州支店を訪問するとすぐに羽田へと戻った。

 今回はアンケート調査で抽出した4支店から六人の社員、それから社員の家族5人である。別々にWホテルの会議室で話を聞くことになった。それらの記録を行うためにカセットテープも用意していた。本社のヒアリングからずっとテープを使い、それが十五本ほどたまっていた。

 大阪城や大阪駅周辺もよくわからないまま、大阪空港に着地した。ターミナルビルを出るとバスではなく、阪急宝塚線の蛍池まで歩くことにした。まだ空港に乗り入れるモノレールは完成しておらず、蛍池までは歩いて10分程度なので、運動不足解消も兼ねて歩くことにした。

|

« 東日本大震災(2059) | トップページ | 東日本大震災(2060) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 枯れた街(33):

« 東日本大震災(2059) | トップページ | 東日本大震災(2060) »