枯れた街(23)
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下痢は何とか収まって2日続けての休みはさすがに厳しいので、朝8時半には家を出た。タイミング的にはギリギリである。福岡市の件は東京側の調査ということで、東京港と博多港を結ぶコンテナ船を運用しているN海運にヒアリングすることにした。ここは職場と同じフロアにあった。さらにN通運の航空事業部と通運部に渡りをつけて福岡との貨物に関するデータを得ることとした。
神戸空港の件では震災の起きる直前に出したN通運各所へのアンケートが新千歳空港以外集まっていないので、督促するようにクライアントから言われた。「空港どころではないのに」と心の中では思ったが、とにかく羽田、福岡、名古屋、那覇といったところに電話をしてファクシミリで調査票を送り、返送を依頼することになった。
「神戸の調査ですかぁ。それどころじゃないんですけどねぇ」
相手先の反応は概して冷ややかだったが、何とかお願いするということを繰り返した。これだけでもストレスだった。昼飯はいつもの定食を食べる気にならず、うどんで済ませた。
朝からマダ便通はなかったが、昼休みの尾張くらいになって行きたくなった。形は整っていないのが少し出て回復しつつあるのかなというところである。立ち上がるのに足がしびれてしまって膝を押さえるようにした。
午後には鉄道貨物のヒアリング結果をファクシミリで送るように督促があった。急いで作ったものでチェックが間に合わず、「札幌竹刀」とか「剣道○○号線」というようなミスがあったのに気づかなかった。
本当は早く帰りたかったのだが、運輸省まで資料を届けに行って欲しいと広田主任研究員から言われた。午後5時に出て丸の内線で霞が関に行くのに30分はかかった。入り口で守衛に社員証を見せてフロアに行ったが、ここはいつ来てもザワザワとしていた。打ち合わせで午後10時過ぎまで滞在したこともあったが、この界隈は遅くまで働いていると思い知らされた。
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