枯れた街(4)
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和歌山県庁でのヒアリングが終わるとタクシーで和歌山港にあるN通運の和歌山海運事業所に移動した。県庁もN通運も和歌山自体の貨物よりも大阪の玄関口としての見方が強かった。もっとも県庁の期待値に比べるとN通運のほうがコスト面で冷徹な分析で、南九州の農産物を関西市場に運ぶ以外には有望なものはないというところだった。
高速貨物船が大阪湾に入っても航路が過密なのでスピードは出せず、テクノスーパーライナーの50ノットは論外である。和歌山港と阪和自動車道のインターは五キロ程度で南九州の港を夕方に出港して深夜に一時間停泊し、関東には早朝というダイヤを想定すればよかった。
海運事業所でのヒアリングが終わったのは午後四時である。それから大阪にあるホテルへの移動だが、海運事業所から二百メートルくらいのところに南海の和歌山港駅があり、四国とのフェリーに接続していた。このフェリーも四年先に開通が予定されている明石海峡大橋が出来るとどうなるかわからなかった。たぶん徳島には大阪や神戸から高速バスがどんどん走るのだろうと思った。
和歌山港から難波まで走る特急「サザン」は前四両が自由席、後ろ四両は指定席だった。指定席に乗るのはもったいないだろうと大原室長は言い、一番前の運転席の後ろのシートに座ることになった。フェリーと接続していない時間だったので、乗っているのは私たちだけだった。
「君も鉄道が好きなようだね。運輸省鉄道局の関東・北海道輸送改善の調査があるからそれに入ってもらいましょうか」
今関わっている福岡市港湾局と関東運輸局の高速貨物船にどうやら鉄道が加わるようになった。他には通産省の関係でメタノール自動車普及のための調査があり、初年度は東京、二年目は大阪、そして三年目の今年は名古屋というのを手伝うことになった。さらに神戸空港計画の貨物施設というテーマも入る見込みで、これにも加わって欲しいと言われた。
電車はそんなに人がいない状態で、大阪平野を北上した。堺で座席が埋まった。一番前に座ったのは難波で地下鉄に乗り換えるのに便利だからである。地下鉄で梅田に移動すると大阪駅南口のステーションホテルにチェックインした。
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