枯れた街(10)
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羽田の新しい貨物エリアはターミナルビルの東にある湾岸線が空港敷地の北にあるトンネルを抜けてすぐのところにあった。湾岸線はそのまま南に向かい、ターミナルビルの正面には真っ赤なアーチがあり、敷地の南で再びトンネルに入って横浜方面に向かった。貨物施設の事務棟はライトグレーの外壁に熱戦反射ガラスというモダンな建物だった。
「まだこちらに引っ越していないんです」
N通運の羽田空港支店の案内係は一同にそう説明した。フロアは本当に何もなく、年度が替わってから事務机を搬入するということだった。西向きのフロアからはすぐ下に湾岸線が見えた。南と東は広大な空き地で、ダンプカーが何台も連なっていた。十年くらい前はターミナルビルも湾岸線も海だった。地下鉄を掘った土などで埋め立てを行い、地中の水を抜いて地盤を固めてから新しい滑走路を作るそうである。北向きのフロアの前は北東・南西方向の滑走路になっていた。
「新しい滑走路ができるのは四年くらい先でしたかねぇ」
航空事業部の課長が案内係に尋ねた。平成十年か十一年だったと思いますと係は答えた。ターミナルビルの西に二本並んだ滑走路のうち一本がこちらに移ると離陸と着陸を交互ではなく同時に行うことが可能となり、それだけ空港の処理能力もアップすると聞いた。そうなれば成田が国際、羽田は国内というのを再び国際と国内一緒にしてもいいのではないかという声が羽田に近いエリアから上がっていた。ソウル・北京・上海だと飛行時間よりも成田への移動時間のほうが長かった。
「羽田から近距離の国際線が飛ぶようになれば便利ですね」
「台北は今も羽田からでしょ・・・香港・マニラ・シンガポールくらいなら本当に」
「シンガポール入れるならバンコクもですよ。日本企業が一番出ているんだから」
参加者から色んな声が上がったが、もう次の貨物施設のほうに移動することとなった。そこは湾岸線の西側のエリアである。乗ってきたバスは制限区域内に入れず、A空輸のマークが入ったマイクロバスに一同は乗り込んだ。貨物施設を出ると湾岸線をまたぐ陸橋を渡った。新しい滑走路が出来ると飛行機も陸橋を渡ると案内係は言った。
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